「能登の花ヨメ」(2) 門前から九十九湾へ

キリコ会館

門前地区

能登地震で建物の被害が大きかった門前地区へ。仮設住宅もこの場所に多かったそうで、「能登の花ヨメ」の仮設住宅のシーンはここで撮影されたとのこと。
總持寺近くの一般の住宅や商店街はきれいに建て直されていたが、商店街の奥にある總持寺は改築中だった。住宅や商店を優先したためにお寺の再建が最後に残ったらしい。
この近くにはインデペンデンスボードウォーク「絆の小道」がある。旧のと鉄道能登線の枕木にメッセージを書いたものを並べていき、車いすや高齢者でも散策が容易な板敷きの道を作ろうというもの。もとは仮設住宅脇に作っていたそうだが、今では仮設住宅はなくなって広場になっている。そのまわりを取り囲むように、今でも板敷きの道が延び続けている。板に書かれたメッセージを読んでいると神戸や山古志からのものもある。

キリコ会館

能登に特有のキリコ祭りで使われるキリコを集めて展示した場所。キリコとは縦長の直方体の山車で、切子灯篭の略だと言われるように、直方体の部分が灯篭になっている。キリコ会館には実際に使われたキリコが展示されていて、薄暗いなかに灯篭の明かりのついた大きなキリコがいくつも立っているのは幻想的。
能登の花ヨメ」では、被災を契機にキリコ祭りを中止しようとしていたところ、都会から来た花ヨメがキリコ祭りを実現させようと奮闘する。被災を契機に祭りを中止していたといっても、実際の原因は地震ではない。キリコは縦に長いので安定が悪く、前後から多くの人が支えることでやっと立てることができる。キリコが立つか立たないかは、担ぎ手である若者たちが少なくなっているかどうかと密接に関わっている。
キリコ会館で実際のキリコを見て、館内のビデオでキリコ祭りの様子を見ると、実際に祭りを見てみたくなる。7月から9月がシーズンで、今年はほとんど終わっているが、来年はぜひとも。
http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/kiriko/


キリコ会館から海沿いの道を車で珠洲方面へ。このあたりには道沿いに観光名所がたくさんある。
千枚田。1.2ヘクタールの斜面に段々に田が作られていて、小さい田が1004枚ある。すぐ近くにポケットパークがあり、謎のばあばが手作りの千枚田みやげを売っている。
すず塩田。海水を砂地に撒く作業を繰り返して塩を作る製塩法が見られる。道沿いに何軒もあり、製塩の体験もさせてくれるそうで、子どもたちが塩を作っていた。塩を作った後は天然塩で作った塩アイスを。
見附島。弘法大師佐渡から能登を訪れた見つけたからだとか、弘法大師が唐で授かった密教伝来の三杵を探し当てたからだとか、名前の由来はほかにも諸説あるらしい。このすぐそばに恋路海岸/弁天島があり、恋路海岸と見附島のあいだを縁結びーちと名付けたんだとか。これも七音で、輪島の段駄羅に通じるものがある。見附島の岩はもろいそうで、1993年の能登沖地震や大型台風などによってどんどん崩れてきているとか。見附島を訪ねるなら今のうちかも。
そしてゴジラ岩。全国版の観光ガイドには載っていないけれど、地元の観光マップにはたいてい載っている。海から出ている岩の形がゴジラにそっくり。ただし「ゴジラ岩」と聞くと巨石をイメージするけれど、実際の大きさは「ミニラ岩」という感じか。


御陣乗太鼓の発祥地や窓岩など数々の名所を楽しみながら、能登半島の先端をまわって九十九湾へ。
宿泊は百楽荘。旅館に着くと、まず喫茶室に通してもらい、座って飲み物を飲みながらチェックインの手続きができるのがありがたい。和風旅館でありながらアジアン・リゾートの雰囲気がある。フロント脇に浴衣がずらりと並べられていて、女性は好きな浴衣を選べるらしい。ほかにも女性が喜びそうな細やかなサービスが随所に見られる。ここはメールも追いかけてこないので、しばらく籠って原稿書きなどするのにいいかも。