「タレンタイム」−−死による再生

「タレンタイム」について、細かい内容に触れずに感想を書くのは難しいが、物語と直接関係なく舞台裏に関することで1つ書いておこう。エンブン(ハフィズの母親)役を務めたアゼアン・イルダワティに関することだ。


エンブン役を務めたアゼアン・イルダワティは、1950年2月27日、クダ州アロースターで生まれた。1980年代以降に活躍したマレーシアの著名な女優であり、歌手でもある。
アゼアンは、1979年の主演映画「Esok Masih Ada」をはじめ数々の映画に出演し、「マレーシアのファラ・フォーセット」とも呼ばれた。(「Esok Masih Ada」は「明日はまだある」だけど、「いつも明日がある」ではどうかな。ただし同名の米国映画との関係は不明。)
30年以上も現役の女優を続け、2007年8月に行われたマレーシア映画祭では最優秀助演女優賞に輝いた。ところが受賞のために舞台に上がったアゼアンの姿を見てマレーシア中が驚いた。アゼアンは2007年6月に乳癌にかかっていることが判明し、7月に手術を受けていた。術後の化学療法のために頭髪はすっかり抜け落ち、自力で長時間立つことが難しく、車いすなしで動けない姿を見たためだった。化学療法には高額の費用がかかり、アゼアンはすでに20万リンギ以上を費やしていた。高校在学中の娘を含む3人の子どもたちの将来のこともあり、もし今までに自己資金で用意した治療費が底をついたら化学療法を打ち切ってほしいと病院に頼んでいたともいう。
このニュースを知って、ヤスミンはアゼアンに「タレンタイム」への出演を打診した。ヤスミンは数年前にあるイベントでアゼアンに会い、学生時代からのファンだと告げ、アゼアンもヤスミンの作品への好意的な批評を返し、ヤスミンからはいつか自分の映画に出演してほしいという話が出ていた。
アゼアンはこの依頼を聞くと、ぜひとも出演したいけれど、車いすだし、無理して立っても数分しか立っていられず、とても演技ができないからと出演を断った。しかしヤスミンは、それなら車いすに座る役を用意するし、それも難しければベッドに寝たままの役を用意すると言い、直ちに脚本を書き直した。その脚本を読み、アゼアンはその場で出演を受け入れた。ヤスミンはさらにアゼアンの娘にも出演を求め、アゼアンの娘で若手女優のエルザ・イルダリナをマワル(メルーの妹)役にした。エルザはこれが長編映画への出演3作目になった。
「タレンタイム」の撮影はアゼアンにとって驚きの連続だった。撮影期間中、ヤスミンはアゼアンに車いす用の設備が整ったホテルの部屋を用意するなどの特別待遇を与えた。アゼアンは「まるでメリル・ストリープのように扱ってもらった」と喜んだ。また、撮影後、アゼアンは「タレンタイム」の制作プロダクションから支払われた出演料の金額の高さに驚いたという。
理想と仰ぐメリル・ストリープのように扱ってもらったと喜んだアゼアンは、インドの映画俳優アーミル・カーンのファンでもあった。また、歌手としては「Bawalah daku bersamamu」(あなたと一緒に連れて行って)というヒット曲がある。
これらはいずれも「タレンタイム」に盛り込まれている。メリル・ストリープの名前はメルーのおばあさんがキャメロン・ハイランドに行く準備をしている場面で出てくる。アーミル・カーンは、マヘシュがメルーの家に来た場面で名前が出てくる。また、劇中には出てこないが、挿入歌「エンジェル」のマレー語版では歌詞に「Bawa daku bersamamu」が登場する。
アゼアンは「タレンタイム」の試写を観て、「自分はまだ演技できるし、出演の依頼があるかもしれないけれど、おそらくもう映画に出る機会はないと思う、でも「タレンタイム」が最後の出演作品となるなら思い残すことはない」と語ったという。


以上は主にネット上で得られる情報をまとめたものだ。以下はこれをもとにした私の深読みで、例によって根拠はない。
「タレンタイム」は、親子の関係や年頃のきょうだいの関係などさまざまな物語が織り込まれているが、それらの物語と別に何となく「死」のイメージを感じてしまう。監督のヤスミンが亡くなったことも影響しているのだろうが、そのような偶然の一致ではなく、ヤスミンの計算のうちとして「死」が描かれているように感じられる。
アゼアンについての一連の話を知って、ヤスミンは「タレンタイム」をアゼアンの女優引退の花道としての意味も込めたのだと思い、「死」のイメージと繋がった。
「死」と言ってしまうと1人の人間としての死をイメージしてしまうし、アゼアンは実際に乳癌で闘病中であるため、なんとなく「死」という言葉を使うのがためらわれる気になるが、しかし現役を引退するというのは女優としての「死」を意味しているとも言える。
「タレンタイム」では、死は必ずしも避けるべきものとして扱われていない。「グブラ」ではティマが幼い息子を残して自分が死ぬことを恐れていたのと対照的に、「タレンタイム」のエンブンは自分の運命を知り、それを穏やかに受け入れて神のもとに召されていった。
また、死は当事者にとってみれば人生の断絶をもたらすけれど、ある個体が死ぬことによって別の存在が新たな歩みを始めることにもつながる。「タレンタイム」では、マヘシュの叔父さんの葬儀のシーンに被る形でメルーの食前の詩が詠まれていた。その内容は「他者の死体を食べることで我々は生きていく」というおよそ食前の詩にふさわしくない内容であるけれど、ここでのメッセージは、死による喪失への悲しみや恐れではなく、死による新たな出発になっている。
「死を契機とした再生」は「グブラ」の中心的なメッセージだったが、それをさらに突き詰めることで、死ぬこと自体を恐れないようになったのが「タレンタイム」だということになるだろうか。
これはアゼアンだけに向けられたメッセージではないだろうが、アゼアンに劇中で死を迎えさせ、他方で本人の娘を出演させたことは、たとえ女優としてのアゼアンが映画界から姿を消したとしても、それが何か新しい「命」を生みだすことになるというメッセージになっていたのだろう。
「タレンタイム」のタイトルが「Tale n Time」つまり「物語と時」の話になっているという話を聞いたとき、「時」が何を意味しているのかあまりピンとこなかった。しかし、この映画を観た大人のマレーシア人たちは、1970年代や80年代の頃を思い出して懐かしい気持ちになったという。いろいろな仕掛けによって観客1人1人に若いころを思い出させるとともに、アゼアンがその頃の大スターだったことをもう一度思い出させて、映画の世界でアゼアンを送り出すという意味も込められていたのだろう。


ヤスミンは「タレンタイム」を撮っている間にこんなに早く自分が天に召されるだろうと想定してわけではないはずで、それなのにこの映画でまるでヤスミンが自分が死ぬことを想定して作っていたかに思えるのが不思議だったが、死を通じた再生を1つのテーマにしていたためだと考えると納得がいく。
そうであれば、これをヤスミンを送る映画として観たとしても大きく外れてはいないだろう。ヤスミンは亡くなったが、それによる喪失を嘆き悲しむのではなく、それを契機にどんな新しい関係が作れるかが大事だとヤスミンが教えてくれている。