西スマトラ地震から1ヵ月

西スマトラでは、政府が定める非常事態があと2日間で終わる。
非常事態が終わるというのは、食料を含む生活必需品を政府が被災者に配給するのが終わるということ。住む家や家族や仕事を失った人たちが元通りの生活を営めるようになったわけではないし、もとより非常事態期間中に生活必需品が被災者にきちんと渡っていなかったりもする。


被災からほぼ1ヵ月たった西スマトラの様子をいくつか。


今でも深刻なのは地滑り。
パダン市は海辺にあり、まわりが山で囲まれている。そのためパダン市から他の地方に陸路で行くにはどの方面に行っても山道になる。もともと地滑りが多い土地だが、今回の地震で崩れやすくなっているのか、何時間か雨が降ると地滑りが起こり、道路が通れなくなる。
ときどき車や人が地滑りに巻き込まれるため、警察が通行止めにしている道路もある。パダン市と域外を結ぶ幹線道路なので、流通を含めてすべて動かなくなる。これは地震から1ヵ月起こった今でも起っていること。
アガム県とパダン・パリアマン県では、地滑りの危険があるために約1800世帯に移転が必要とされている。


そして失業。
地震による死者は1117人。負傷者は数千人。被害を受けた建物は13万棟。
これらの被害に加えて問題となっているのは地震で生業の基盤が失われたこと。倒壊して営業不能になった11軒のホテルやそれに関連した観光業だけでも数千人の失業者が出た。州政府では、この地震による州内の失業者は20万人にのぼると見積もっている。
失業はさまざまな分野で問題になっている。パダン市のある私立病院では、建物被害がひどいために経営が継続できず、そのため250人以上の職員が職を失うことになる。


さらに、アイデンティティの拠り所の喪失。
この地震では、人命や財産だけでなく、文化遺産も失われた。中国や日本から伝えられた陶磁器や、民間で伝えられてきたイスラム教の文献の多くが地震や地滑りで失われたと報じられている。これらは、かつてこの地域が世界と繋がっていたことを示すものであり、世界の中で自分たちの位置づけを確認するアイデンティティの拠り所となっている。


西スマトラの人々がどのような方向で復興を考えているのか、それに対して外部社会はどのような支援ができるのか。これを考えるには、いろいろな専門性を持った人たちが集まって知恵を出しあうしかない。以下の催しもその1つ。
http://www.jsseas.org/news/0815