ホー・ユーハン「心の魔」

ホー・ユーハン監督の「心の魔」(心魔、At the End of the Daybreak)を観た。
「心の魔」を観る前にユーハン監督(以下、敬称略)と話をする機会があった。これから観ると言ったので内容についての話にはならなかったが、1つだけ、「鳥を探してみて」と言われた。「レインドッグ」の最後の虹のシーンの話から、映画を撮っているときに偶然映り込んでしまうものについての話になり、「タレンタイム」でハフィズがモスクで礼拝しているときに鳥が2羽入ってきたことが話題に上った。ヤスミンがそれを「うまい具合にいい絵になってうれしい」とユーハンに言ったらしく、それを聞いたユーハンが「心の魔」を撮ったときに意図せずに鳥が入ってきたので、「僕の作品にも鳥が入ったよ」とヤスミンに知らせたのだとか。だから「心の魔」を観るなら鳥を探してみて、と言われた。鳥探しに集中して肝心の物語を見逃してはいけないと思って気持ち半分で鳥を探していたけれど、最後まで見つからなかった。もしかしたら見落としたのかもしれないけれど、ユーハン監督は冗談だか本気だかわからないような話し方をするので、もしかしたら担がれたのかもしれないと思っている。


さて、「心の魔」について、あらすじなどは省略。この映画でよく言われるのは、
実際にマレーシアで起きた事件をもとに作られた映画であること
「レインドッグ」とともに「父親不在」の映画であること
マレーシア華人を扱った映画であること
日本に関係したものがいくつも登場すること
など。これがどう結びつくのか。

「どうして服を脱がせたのか」

ユーハン監督も言っていたように、この映画は実際に起こった事件をもとにユーハン監督が自分なりにいろいろ調べて作った映画らしい。「レインドッグ」ができたころだとすると、2005年2月に新聞やテレビで取り上げられた事件のことだろうか。被害者は中国出身の17歳の女性で、遺体は衣類を脱がされ、性的暴行を受けた後だった。「どうして殺してから服を脱がせたのか」が多くのマレーシア人にとって不思議だったようで、タブロイド紙を中心にいろいろな記事が書かれたりした。
映画を撮ろうとして何かおもしろい題材はないかと新聞を読んでいてこの事件にでくわしたのではなく、その逆なのではないか。映画を撮るかどうかとは関係なく、新聞やテレビでこの事件のことを知り、どうしてこんな事件が起こったのか調べてみた。それは単なる好奇心というよりも、自分が属するマレーシア社会がどんなことになっているかを理解して、もしおかしなことになっているとしたらそこに働きかけて改善したいという思いからだったのではないか。
ユーハン監督は自分なりにいろいろ調べて、自分なりに事件の背景を理解した。もし彼が社会学者だったら学術論文で発表しただろうし、新聞記者だったら新聞の紙面を通じて世に訴えただろうし、作家だったら本を書いたかもしれない。でも彼は映画監督だったので、この事件をどのように理解したかを映画で表現した。もちろん、核となる部分は残しながらも、それ以外の部分では創作を加えたり設定を変えたりしたので、ドキュメンタリーというわけではないけれど、性格としてはドキュメンタリーに近いものだと言えるかもしれない。
では、ユーハン監督はこの事件の背景をどのように捉えようとしたのか。
表面的なメッセージは、犯人グループは日ごろから悪事に手を染めている悪者たちなのではなく、巡りあわせでいろいろなことが続き、結果として大きな事件に発展してしまうということ。では、どうしてそんなことになってしまうのか。事件から一歩引いたところから見てみたとき、2つのことが考えられる。1つはこの映画のタイトル、もう1つは「父親不在」と関係している。

At the End of the Daybreak

1つはこの映画のタイトルと関係している。華語タイトルは「心の魔」で、日ごろから悪事に手を染めているわけではなくても、ふとした時に心に魔物が入り込んでしまうことがあるということ。では、どんなときに魔物が入り込むのか。英語タイトルは「At the End of the Daybreak」。ユーハン監督はこれをマルティニーク出身の詩の一節から取ったと言っていたけれど、それ自体は重要ではない。夜が明け切る前に何かが起こるということで、その時間帯こそが心が魔物にとりつかれるかもしれない危険な時間帯だということになる。
「夜が明け切る前」とは、もちろん1日のなかで言えば夜明けの前の時間のことで、確かに何か危険な香りがする。でも、マレーシアに重ねて考えれば、ここでいう「夜」とは「高校卒業から進路が決まるまでの時期」と読み解くことができるだろう。
「心の魔」では、16歳のインは「フォーム4で来年は大切な年」だと言われている。
ちょっと話がそれるけれど、マレーシアの教育について少し。マレーシアの中等教育では中学と高校を一貫性で数えるので、フォーム4とは中学4年生あるいは高校1年生にあたる。そして、1年後のフォーム5には、マレーシアの子どもたちが誰もが通らなければならないSPMと呼ばれる全国統一試験が待っている。
SPMにパスするかどうか、しかもどんな成績でパスするかは、その後の人生を大きく左右する。フォーム5のためには必死で勉強するし、それが終わると3ヵ月くらい結果待ちの時期があって、その結果を受けて、大学に進学する人、海外に留学する人、民間企業に就職する人、家業を継ぐ人などなどと進路が分かれていく。日本で紹介されているマレーシア映画は、登場人物が何らかの形でこの時期に関係していることが多い。
「細い目」はオーキッドのSPMの結果待ちの間に起こった物語だ。オーキッドはAが5つだったけれど、マレー人なので奨学金をもらってイギリスに留学することになった。ジェイソンはAが7つだったけれど、華人なのでそれでは成績が足りなくて進学できず、海賊版CD売りをすることになった。
ユーハン監督の「レインドッグ」は、トンがSPMの成績を待っている間の物語だ。(日本語字幕では「大学の試験の結果待ち」とされているけれど、実際にはSPMの成績のことだ。)成績が家に伝えられて、母親がそれを電話でミンに知らせてくる。ただし「マレー語だったのでわからない」という言い方でトンの成績がどうだったかは観客には知らされない。
「グッバイ・ボーイズ」はもっと露骨にSPMの話で、SPMを1週間後に控えた大切な時期にボーイスカウトの100km踏破に参加した高校生たちの話。リュックに参考書や問題集を詰め込んで参加している子もいれば、「うちの仕事を継ぐからあまり心配してない」とかいう会話も出てくる。
「タレンタイム」のハフィズとカーホウはどちらもSPM受験前。男子生徒の制服のズボンが深緑色なのはフォーム5までの学生。SPMをパスした生徒は大学に進学する予備過程であるフォーム6に入る。メルーはフォーム6の生徒なのでSPMはパスしたということになる。
話を戻して、「心の魔」では、タッチャイが「牢屋に入りたくない」と言ったために母親が相手に金を支払おうとしたし、それにもかかわらず訴えられそうになったためにインを殺すことになった。タッチャイの「牢屋に入りたくない」というセリフは、SPMのために必死に勉強したあとで試験を受けて気持ちが解放されてからSPMの成績が出るまでのあいだ、つまり、SPMをパスするにしてもしないにしても社会の中で何らかの位置付けを担わされていくことになるという時期のマレーシアの子どもたちが誰もが感じることだ。「At the End of the Daybreak」というタイトルを持ってきたことは、必死になって試験勉強して、その結果によって冷酷に進路が振り分けられ、しかもそれが単純に成績だけで決まるのではなく生まれが大きく左右するという状況に置かれたマレーシアの少年少女の心に魔物が入り込む恐れがあるという訴えなのではないか。

「父親不在」

もう1つは「父親不在」。上映後のQ&Aで「レインドッグ」との共通性として「父親不在」が指摘されていた。ユーハン監督は「次回作は父親を中心にする。長く家を空けていた父親が突然戻ってきて繰り広げるコメディーだ」と答えていた。
「父親不在」で思い出すのは、スハルト体制崩壊後のインドネシアの映画に見られる父親性の話だ。そこでは「父親=指導者」であるスハルトを失ったインドネシア社会が父親不在という状況にどのように対応していくかを映画を通じて見ることができた。
同じように、マレーシア華人も「父親=指導者」を失った状況にあると言える。良くも悪くもマハティールは強力な国家指導者で、その指導性のもとで華人政治家がうまく機能して華人社会を守っているかに見えた。しかしマハティールが首相の座から降りた後には、アブドゥッラー首相は指導性に欠け、華人政党や華人政治家もその状況に対して何の手も打てなかった。2008年3月の総選挙で与党連合が大敗したのもこの話の延長上にある。かといって、前回総選挙で勢力を伸ばしてきた野党連合を完全に信用していいのかもわからない。こんな状況で、マレーシア華人は「父親=指導者」不在という認識を共有するに至っている。
このことは、マレー人を中心に描いているヤスミン作品では良くも悪くも父親の権威なるものが存在しているのと対照的だ。父親の庇護のもとで安定した家庭が作れるのも、「ムアラフ」のように父親の権威に対抗しようとしたりするのも、父親性が機能しているという認識がマレー人社会で共有されているからだろう。
ということで、ユーハン監督の懸念は、マレーシア華人が指導者不在の状況に置かれていることにあるのではないか。そのため、マレーシア華人の一部、特に若者たちは海外に目を向けて、そこにあるものを安易に表層的に受け入れることになる。かつては欧米の文化を受け入れていたが、最近は日本をはじめとする東アジア文化を受け入れている。ただし、日本らしさが感じられるものならなんでも「カッコいい」と思うという程度であり、内容に対する理解を踏まえた受け入れているわけではない。「心の魔」に日本グッズがいくつも出てくる(しかしどれも半分しゃれのような位置づけしか与えられていない)のはそのことと関係している。
そう考えると、父親を入れるユーハン監督の次回作がコメディーになるのもわからなくはない気がする。マレーシアの華人社会が父親役の不在という状況を迎えているとして、そこに長期不在だった父親が突然戻ってきたらどうなるか。父親は「父親」としてふるまおうとして、まわりとあわずにまるで喜劇になるしかない。
では、ユーハン監督は、「心の魔」でどのような決着をつけたのか。物語の最後はタッチャイの母親で結んでいる。
タッチャイの行方がわからないまま、警察はタッチャイの母親を取調室に呼ぶ。タッチャイの友人2人はすでに逮捕され、それぞれ事件について警察に話している。警察は、今回の事件はタッチャイが主犯であることをほぼ確信している。ただし、タッチャイの母親が関与しているかどうかはわからない。そのために母親を取り調べするのだが、母親は事件について答えない。そこで最後に警官が、「タッチャイから電話があった、すべて話してくれた」と母親に告げる。これに対して母親は、「息子が電話をかけてきたはずがない」と言い切る。
タッチャイの母親にしてみれば、タッチャイが電話してきたということは、息子タッチャイが自分に助けを求めているということだ。ここで電話の話を真に受けるということは、短期的に見れば息子を助けようとすることになるけれど、これまで自分が息子を守ろうとしてきた態度こそが(言いかえれば、息子の父親役を務めようとしたことが)息子を窮地に追いやってきたことを考えるならば、真の意味で息子を助けたければ乗るべき話ではないということになる。そもそも、自分には息子の父親役が務まらないことはわかっている。インを殺してから家に帰って来たタッチャイに殴りかかられたとき、タッチャイを力づくで押さえつけることができず、倒されてしまう。タッチャイにとって、母親は、これまで自分を守ろうとしてくれたけれど、肝心のところで自分のことを守り切れない弱い存在であることが象徴的に示された。だからタッチャイは家を飛び出した。そのことがわかっているからこそ、母親はタッチャイが自分を探して電話をかけてきているという話に乗らなかった。もしかしたら本当にタッチャイは助けを求めて自分を探しているのかもしれない。でも、自分に助けを求めないようになることがタッチャイにとって意味があることだと考え、あえて息子は自分に電話してくるはずがないと警官に言った。これは、同時に自分自身に言い聞かせていたということでもある。

「心の魔」の怖さ

ユーハン監督は、見かけやしゃべり方がたいへんとっつきやすいので、楽天的な性格のように見えるけれど、この映画からもわかるように、実はとてもとてもまじめな人だ。自分が属するマレーシアという社会のことを真剣に考えていて、特にマレーシアの華人社会が抱える問題をどのようにすれば破局を迎えないようにできるかを大まじめに考えて、それを映画を通じて表現しようとしている。「心の魔」に出てくるのはほとんど華人だし、まるで香港映画のような雰囲気が漂っているけれど、それでも「心の魔」はまずマレーシア映画として作られている。
その一方で、「心の魔」がマレーシア映画の枠を超えた作品として受け入れられているようにも見える。それは、国境を越えて情報のやり取りが緊密になり、しかし自分の本国ではしっかりした足場を築けないというこの映画で描かれたマレーシア華人の状況が、いまの東アジア・東南アジアの若い世代に共通した状況だからではないか。生まれた環境で人生のコースが決まる状況があるとしたら、民族性に基づくブミプトラ政策と同じようなものだろう。「心の魔」を観ていてところどころピンと来ない場面があるのだが、それは「心の魔」が外国の映画だからではなく、もしかしたら日本国内で今起こっていることを見てもピンと来ないという自分の頭の中の認識の格差を疑った方がいいのかもしれない。