ヤスミン・アフマドを継ぐもの――「Sayang: You Can Dance」

サバ在住のご夫妻にマレーシア映画祭期間中の上映映画のチケットをいただき、マレーシア映画「Sayang: You Can Dance」へ。ポスターを見る限りではシャリファ・アマニが変なおかっぱ頭をしているダンス映画だというので半分怖々のぞいてみたが、ヤスミン作品、特にオーキッド三部作を観た人は必見の映画だった。観終わって、ただちに近くのDVDショップでDVDを買ってきた。


まずはあらすじを簡単に。主人公はシャリファ・アマニ扮するミア。サラワク出身だが、子どものころに父親の仕事の都合で家族でクアラルンプールに移った。シンガポールのカレッジに進学して、長期休暇中にクアラルンプールの両親の家に戻ってきたときの話。サラワク出身の幼なじみダニエルに誘われて、ダニエルらが参加しているダンス・グループをのぞく。8人がコンペティションのためにダンスを練習していた。ミアはグループの1人でサラワク出身のロミーと恋に落ちるが、ロミーの仕事や家庭の事情を聞いたミアの父親はミアとロミーが会うのを禁じてあの手この手で引き離そうとする。ところがロミーは重い病気にかかっていて(母親が白血病で亡くなっている)、体調を壊して入院し、手術には大金がかかることがわかる。この金額がダンス・コンペの優勝賞金と同じ額。ダンス・コンペで優勝できるか、そしてロミーを救えるか、ミアとロミーは結ばれるか、と気になるところだけれど、そこから先は一筋縄ではいかない。あとは観てのお楽しみ。


この映画、ウェブ上で調べてみるととにかく評判が悪い。その理由は主に3つあるようだ。
第一に、ダンス映画のはずなのに主役のダンス・グループのダンスがしょぼいこと。確かにそういう感もあるけれど、まあ、ダンス映画としては期待しないということでよしとしよう。
第二に、多言語なのに字幕がなかったので話がわからないこと。これは先行上映のときの技術的な問題だが、確かにいろんな言葉が出てくるこの映画で字幕がないのは致命的。一般公開では英語+華語かマレー語+華語の字幕が付いていたが、ところどころ字幕が飛んでしまっていた。
第三に、終盤にミアの父親が頑固親父から物分かりのいい父親に豹変するなど、話が単純すぎる。確かに。でも、それは話をわかりやすくするために犠牲にしたものがあったと思いたい。ダンスの部分が多く、そのため台詞が相対的に少なくなっている。台詞をしっかり理解しないと話がわからないという事態を避けるために話自体は単純にしたのではないか(とは言いながらも字幕がないのでわからなかったという批判が出たのだけれど)。


こんなさんざんな評価を受けているけれど、私がこの映画を押す理由は2つある。
1つは、これまでに何回か書いた「1マレーシア映画」になっていること。マレー語がメインのマレー映画だけれど、ダンス・グループに何人か華人がいて、彼ら・彼女らは広東語で話している。だから一部だけ見るとまるで中国系のドラマを見ているように感じられる。インド系はいないけれど、ダンス・グループのメンバーにはサバとサラワクの出身者がいる。ほかのメンバーが裕福な家庭の子どもたちなのにサバとサラワク出身の2人は自動車の修理工で貧しいという設定がちょっとどうかなとも思うが、そのあたりは深く考えないことにしよう。さらに、サラワク出身のレミーは母親がインドネシア系という設定で(父親は名前はインドネシア系だけれどマレーシア人だそうだ)、インドネシア語風のマレー語を話す。サバっ子の方は物語中でちょっとよくわからない位置づけだけれど、サラワクっ子は主役級の役を担っている。ミアもサラワク出身なので、クアラルンプールが舞台だけれど、サラワク出身者どうしの恋愛劇になっている。しかもマレー人とインドネシア系という越境恋愛の側面もある。そんなわけで、マレー語映画だけれど、ミアたちのようにKLっ子のマレー語もあれば、その母親たちのようなサラワク・マレー語、華人のマレー語、そしてインドネシア語と、実にさまざまなマレー語が話されている。
もう1つ言えば、性的マイノリティもダンス・グループのメンバーにいるので、性的にも多様性を取り込んだ「1マレーシア映画」になっている。マレーシア映画で「おかまキャラ」は色もの扱いされることが多いけれど、この映画ではコメディ部分を担当しながらもちゃんとグループのメンバーとして位置づけられている。
確かにストーリーはもうちょっと深みがあってもよいと思うけれど、「1マレーシア」を積極的に盛り込もうとして、しかもなるべく自然に物語を展開させようと努力している様子が見られるところを大いに評価したい。これが1つめの理由。


2つめは「ヤスミンを継ぐもの」という期待を込めて。これがどうして「ヤスミンを継ぐもの」なのか。マレーシアのいろいろな要素を入れているとか、中華系のドラマっぽい要素が入っていることとかもそうだけれど、でもそれだけで「ヤスミンを継ぐもの」とまでは言えない。もっと強い理由がある。
「Sayang」は、ヤスミン監督のオーキッド三部作(「細い目」「グブラ」「ムクシン」)へのオマージュになっている。観ればわかるだろうから多くは説明しないけれど、「Sayang」にはオーキッド三部作を思い出させるシーンがあちこちに登場する。舞台の設定からして、シンガポールのカレッジに通うミアがクアラルンプールの両親の家に戻ってきた長期休暇中の恋愛物語で、これは「ムクシン」の設定に通じている。ほかにも、オーキッド三部作の設定を解体して組み立てなおしたと思えるシーンがいくつもある。オーキッド役のシャリファ・アマニを使っているのもオーキッドの物語の外伝としてだから。
ヤスミン監督のオーキッドの物語は「ここにはないマレーシア」を美しく描いた作品だった。それに対して「Sayang」は、都会のクアラルンプールを舞台に、現実にありそうなマレーシア社会を描きながら、そこにオーキッド三部作を解体して組み立てなおした作品だと言える。(エンドロールの最後の最後にもちゃんと仕掛けがあるのでお見逃しなく。)
これが私の深読みにすぎないのではなく、この映画の制作者が明確に意識していただろうことは、劇中にヤスミン監督がちょっとした形で登場するところからもうかがえる。この映画は今年3月に公開されたのでその頃はヤスミン監督がまだ元気だったはずだと思うが、ヤスミン監督が登場するシーンでは、まるでヤスミン監督が亡くなることを想定してヤスミン作品を受け継ぐという意思を表明しているかのようだ。
別の見方をすると、ヤスミン作品の枠組みから外に出ていないという言い方もできるので、「ヤスミンを継ぐもの」と言ってしまっていいかどうかはなお疑問符がつくのだけれど、でも、批判も多く、もっとうまく作れそうだとは思うものの、この監督の作品にはしばらく注意していきたい。
監督はBjarne Wong(華語名は王凱旋)。サラワク出身でスタンリー・トンに師事したということのほかはあまり情報がない。


さて、今夜はこれからサバ大学でマレーシア映画祭の授賞式。これもサバ在住のご夫妻に大変なお手数をおかけいただいて入場できるようにしていただいた。今回のノミネート作品のうち私の本命は「Talentime」だけれど、「Sayang」も作品賞にノミネートされているので、どうなるかちょっと楽しみ。


***
映画祭を終えて。
まずは最初の歓迎の踊り。サバの地元の踊りが披露されたのだが、しばらく前に「1マレーシア」で書いた各民族の衣装を混ぜた踊りが披露された。バジャウ人の衣装を着た人によるスマザウ踊りを見ることになるとは思わなかった。
映画祭では、最初に審査員特別賞で「Talentime」が挙げられたので作品賞の可能性がなくなり、さらに音楽賞でも「Talentime」が外れ、だいぶ気が萎えたけれど、最後に監督賞が「Talentime」のヤスミン監督だったので満足。
監督賞のトロフィーを受け取ったのは「姉に代わって」と言っていたので妹のオーキッドさんか。姉が苦しんでいる時期に日本など外国のみなさんから声援をいただいてありがたかったという感謝の言葉と、姉は毎晩寝る前にその日あったことを全部赦してから寝ることにしていたという「ムアラフ」のようなエピソードをうかがう。
この映画祭ではもっとヤスミン監督の話が出るかと思ったけれど、予想に反してほとんど出なかった。第22回映画祭の公式パンフレットの最後のページに「細い目」の写真を見つけた程度。映画祭の途中でヤスミン監督を紹介した短い映像が流れたが、いろいろなところで見かける映像をつないだ短いもの。ナレーションがアディバ・ヌールだった。この映像に続いて「Talentime」のAngelが聞けたのはよかった。ヤスミン監督のことを強く想いながら歌っていることがよく伝わってきた。この歌は、「Talentime」の劇中では英語バージョンが歌われて、ここではマレー語バージョンが歌われた。どちらでもいけるというヤスミン監督の意図を改めて伝えてくれた。
ちょっとだけ気にかけていた「Sayang」は、今回の映画祭ではどれにもかすりもしなかったようだ。
締めくくりはこれまた変わった踊りで、十数人出てくるのでマレーシアの13州を集めた「1マレーシア」なのかと思ったけれどそうでもなかったようだ。民族衣装ではなく普通の服を着ていたが、よく見るといろいろな職業を代表しているとかいうことがあるのかもしれない。とにかく、今のマレーシアは何でも「1マレーシア」になっているという印象を受けた。それも、特に半島部ではインド系、ボルネオ島ではサバ州をちゃんと扱うという雰囲気になっている。
帰りがけに駐車場でマヘシュとカーホウをみかける。こんなこともあるかもと思って用意しておいた「Talentime」のサントラCDにサインをもらって記念撮影。「勿忘草」では日本に撮影に行く予定だったんだなどの話を聞く。思わぬ人たちに出会えてとても満足して帰宅。