インドネシア映画「cin(T)a」

今回のジャカルタ滞在は短く、映画はせいぜい1本しか観られなかった。どれを観るか。
劇場では「Merantau」「Merah Pitih」「cin(T)a」など興味深い映画がいくつもかかっている。「Merantau」は本格派のシラット映画。2時間を超える長編らしい。旅に出ること(ムランタウ)とシラットがどんな関係に描かれているかに興味がある。「Merah Putih」は、インドネシア国旗を象徴する「紅白」というタイトルからしていかにも愛国的な映画で、エンターテインメントとしておもしろいかどうかはともかく、今のインドネシアの「愛国」を理解する上で興味がある。
しかし、その2つを差し置いても今回観るべきは「cin(T)a」だろう。「cinta」(愛)と「cina」(中国)が交わっているタイトルが示すのは華人との恋愛。しかも宣伝ポスターの写真がヤスミン監督の「細い目」のオープニングを想像させる。海外の映画祭などで評判が高く、国内でも上映してほしいという声が多かったが、ようやくジャカルタで公開されることになった。グランド・インドネシアという巨大モールに入っている映画館でしか上映していない。夜遅い回もあるので1日の用事を済ませた後で観られるので助かった。
さて、なんとなく「細い目」のインドネシア版というイメージで観に行ったけれど、その予想は裏切られた。いいように裏切られたのか悪いように裏切られたのかは判断が難しいが、少なくとも「華人の恋愛」ではなかった。登場人物は華人男性とプリブミ女性だし、華人男性の名前はチナ(China)だけれど、民族を超えた恋愛の話ではなくイスラム教徒とキリスト教徒の恋愛の話だった。


キリスト教徒の華人男性チナとイスラム教徒のプリブミ女性アンニサが大学で出会い、恋に落ちるが、一緒の暮らしを築くかどうかという話になると宗教の話が出てきて折り合いがつかない。宗教は違っていても教えの内容はほとんど同じだと言ったりもするのだが、だからといって違いの部分も無視できない。この2人の言い合いがすごい。半ば冗談風に、しかし大まじめに、お互いに相手の宗教の悪いところを言い合う。言い合いのシーンはかなり長く、セリフも多いので、ぱっと聞いてすぐに理解するのがやや難しいほど。そこまで言っていいのかと思うようなことまで言い合っている。さんざん言い合った後で、どちらかが改宗して結婚してはどうかという話も出るが、「自分の神様を裏切るような人のことは信じられない」ということでどちらも改宗は選ばない。


同じ設定でマレーシアだったらどういう話になるだろうかと想像して少し気になったのは、どちらの家も家族がほとんど出てこないこと。マレーシアだと、どちらも惚れあって結婚したいと思うけれど、家族や親せきが反対するのでそれをどう乗り越えるかというドラマになる。これに対してインドネシアでは、民族や宗教が違っていても家族や親せきのことは気にしなくてよくて、それぞれが自分の信仰に関して心の中でどう折り合いをつけるかがドラマになるということか。
家族が出てこないことは、チナの華人性を薄めて宗教の話に集中するのにも役立っている。華人だとどうしても家を継ぐという話が出てきて、そうすると宗教ではない要素が入ってきてしまう。華人男性の名前がチナになっているのは、父親が出生登録のときに「チナらしい名前にしてくれ」と言ったのを聞き間違えた登録官がそのまま「チナ」としてしまったせいだと劇中で説明されるが、名前に姓がないということは受け継ぐべき家系のことを考えなくてもいいということだ。


この映画の主題は、途中で2人が着ているTシャツに書かれているように、「神は(建築の)設計者である」と「神は(映画の)監督である」という捉え方の違い。設計者はそれぞれの建物の配置を決めるけれど、そこに住む人々がどんな生活をするかまでは決めず、人々の選択に委ねている。これに対して監督は役者の細かい仕草の1つ1つまで指示を出し、人々はそれに従って演技する。神はいったい設計者なのか監督なのか。
アンニサは、テレビで動向が報じられるほどの有名な女優で、3年前に女優の仕事を辞めて大学に入り、建築の勉強をしている。一方で映画の道も完全にやめたわけではなく、監督になるという希望がある。設計者と監督というのはアンニサの進路とも重なっている。
「神は設計者か監督か」に類する議論は、おそらくキリスト教世界ではさんざん議論されてきた話なのではないかと想像する。この映画は西洋で受けているらしいが、その議論をイスラム教徒とやり合っているのがよかったのではないかとも思った。と思って日本の本屋で思想系の本を眺めていると、「アーキテクチャ」を取り上げた本が多い。建築の話かと思っていたけれど映画「マトリックス」シリーズと繋がる話だったか。