雑誌「Qalam」

ジャカルタへ。このブログはもともとジャカルタに4ヵ月滞在する間のメモ代わりに作ったためにタイトルがジャカルタになっているけれど、ジャカルタ滞在を終えたあとは記事の内容とタイトルが合致するのは年に数回になっている。その数少ない機会が今。
本屋で「Qalam」という新しい雑誌を見つけた。イスラム系の雑誌で月刊誌。見つけたのは第4号。新刊雑誌マニアとしてさっそく編集部を訪問してみた。
断食中に快く応対してくれた若い編集スタッフたちによると、マドゥラのプサントレン出身者でジャカルタに出てきた人たちが出した雑誌らしい。もともとこのプサントレンにQalamという校内雑誌があり、それを全国レベルの雑誌にしたもの。2008年3月に創刊準備号を出し、2009年4月に創刊して今月で第5号が出たところ。プサントレンはイスラム寄宿者と紹介されるので寺子屋のようなものをイメージしがちだが、このプサントレンはかなり規模が大きいらしい。
「カラム」はアラビア語で筆とかペンとかいう意味で、イスラム教徒の文筆活動のタイトルに使われることがよくある。インドネシアではKalamと綴られることも多いが、1950年代にシンガポールでQalamという雑誌が発行されていたのでそれと関係があるかと思って名前の由来を聞いてみたけれど、コーラン(Quran)と同じくQではじまる方にしたとのことだった。
プサントレン卒業生による雑誌だけれど、雑誌自体はそのプサントレンだけを対象にしたものではない。ただし、誌面にプサントレンの生徒による投稿のページがあり、アラビア語による投稿もある。


若い編集スタッフたちと話していると話はどんどん世間話に流れていき、最近のインドネシア映画にプサントレンを舞台にしたものが多いことなどが話題にのぼる。彼らも気になっていろいろ観に行っているらしい。なかには「Perempuan Berkalong Sorban」のようにプサントレンをかなり抑圧的に描いたりしているものもあるけれど、プサントレン出身者としてはどうなのか尋ねてみると、「女は良き妻と良き母親になればいい」だなんて、あんなプサントレンはないよね〜とみんなで笑っていたんだとか。以下は聞いた話。プサントレン内では男子生徒と女子生徒の区別は明確になされて、その禁を犯すとかなり問題になるけれど、それ以外はかなり自由で開かれている。「Perempuan Berkalong Sorban」ではナショナリスト的な本が危険な本としてプサントレン内で読むのが禁じられていたが、ナショナリスト的な本が危険で禁じられることはなく、もし危険な本だからと読まないようにと言われるものがあるとしたら「自分が死んでも敵を倒せ」という類の本。プサントレンを描いた映画が増えているのは確かで、なかには自分たちが学んだプサントレンと大きくかけ離れた描かれ方をしているものもあるけれど、でもプサントレンの様子が一般の人にわかるように描いてくれたのはよいことだと思っている。変な描かれ方をしているものも、それがあるからこそ実際にはそうではないと言う機会になるため。
話はさらに脱線してテロリズムの話へ。興味深かったのは、隠れ家を警察に包囲されて銃撃戦の末に殺されたと思ったら実は殺されたのは別人で本人は逃げ出していたと最近話題になった爆弾テロの首謀者の話。この人物はもともとマレーシア出身なのだが、そのことを強調して、インドネシア国内にはテロリストはいない、テロリストは中東やマレーシアなど国外から来る、という言い方をしていた。聞いていて、最近のインドネシアのマレーシア嫌悪の背景の1つはここにあったのかと思う。マレーシアはインドネシアの踊りや歌など文化的なものを盗み、マレーシアからもたらされたのはテロリズムぐらいだという考え方だ。


このことをもう少し考えてみる。インドネシアでは社会問題が多く、しかし直ちに解決できないため、その原因を「よそ者」のせいにしようとする気持ちが働く。これまではその対象とされていたのが国内では中国系住民であり、国外ではアメリカやユダヤだった。でも9.11以降のアメリカは下手に敵にまわすと本気で攻撃される恐れがある。中華系住民はインドネシア国民の一員と認めることになったのでもはや「よそ者」とは言えない。この状況で手近なところにいたのがマレーシアだったのだろう。これにちょうどシパダン・リギタンの領有権問題やマレーシア国内のインドネシア人労働者の問題などが重なり、インドネシアに悪さをもたらす「よそ者」の座が空席になっていたところにマレーシアがはまったということなのだろう。
そうだとすると、現実のマレーシアに対して具体的な敵意を抱いているというよりも仮想敵のようなものとしてマレーシアを捉えているということであって、両国関係がそれほど深刻に悪化するということではないのかもしれない。ただし、ほかに「よそ者」の悪者が出てこない限りはこの状態が続くので、インドネシア在住のマレーシア人が厳しい思いをすることもあるのではないかと少し心配になる。私はマレーシア風のマレー語を話すせいもあり、インドネシアでは初対面の人に「マレーシア人かと思った」と言われることが少なくない。私が日本人だとわかるとちょっとした緊張が解けて安心した顔をしてくれるのだけれど、その瞬間に立ち会うたびに何とも居心地の悪い思いになる。