「セルアウト!」再び

「セルアウト!」とQ&A。会場でも「2回目」と言っている人を見かけたので、リピーターはほかにもいたようだ。


Q&Aは、監督がサービス精神旺盛なのでとても興味深かった。
はじめのうちカメラが揺れたり色の調整があっていなかったりすることについて。あれは意図的なもので、芸術家気取りの監督が芸術作品風に撮ろうとしていたけれど、次第に商業的に売れるようにとどこかで見たことがあるようなシーンをたくさん取り入れていったという変化を示しているのだとか。だから途中で「セルアウト!」というタイトルが出てきたのかと納得。
多国籍企業がスポンサーで、カラオケのシーンと最後のエレベーターのシーンをカットするように言われたとのことだった。でも最後のシーンは、あれと最初のシーンを撮りたかったのであれをカットするならこの映画を撮らない方がいいと思って反対したのだとか。カラオケになっているシーンは、それまで話の途中で登場人物が突然歌いだすミュージカルのパロディーの延長上で、画面でカラオケが流れるだけで誰も歌わない。この場面は、理想主義のエリックと現実主義のエリックのどちらを残すかを国民投票で決めて、「マレーシアの決定」として理想主義を消すことにした話と関連した場面。カラオケになっているということは、観客に歌えということ。その内容は「あなたへの愛」。女から男への歌に見せておいて、実はこの「あなた」とはマレーシア。それを観客にいっしょに歌わせようとするとんでもない仕掛けになっている。


2回見て思ったこと。
理想主義的なエリックはどこに行ったのか。1回目に見たときは、現実主義的なエリックと一体化して、表には出てこないけれど心の奥底に理想主義を秘めているということかと思ったけれど、理想主義なんて消してしまえ、という話として理解してもいいかもしれないと思った。
主役の女性が花の名前であること。上司とのやり取りで「ラフレシア」という名前をなかなか覚えてもらえなくて、シンガポールの名前かと聞かれたりバイオレットとかオーキッドとか呼び間違えられたりする。オーキッドの名前が出てきたときの上司のセリフはうろ覚えだが「オーキッドよりはいい」だっただろうか、ヤスミン映画を意識している? いずれにしろ、どうせ花の名前をつけるなら世界最大の花にしよう、という発想がいかにもでおもしろい。
家と電話。ホー・ユーハンや他のマレーシア華人の映画では、家(家屋も家族も)が重要な役割を占めていて、とにかくこの国に自分の土地と家を確保して、そこに家族を築こうという思いが強く感じられるけれど、「セルアウト!」では家はあまり重要な話題になっていない。死にかけた人たちの場面でいくつか出てくるくらい。コスモポリタンなので土地や家に縛りつけられていないという意味もあるかもしれないけれど、でも束縛されない自由というイメージとは違う。家とはちょっと違うけれど、会社はガラス張りだし、ラフレシアが乗る車は外から見えないように目隠しされているしで、家はあっても常に外から見られていて心が休まらない場所ということだろうか。
かわりにこの映画でたくさん出てくるのが電話。エリックにかかってくる電話で意味があるものだったためしはほとんどないが、それでもエリックは外からの電話を取り続ける。間違い電話なのにちょっとした心のやり取りがあったりする。しかも、エリックは電話が来たために命を取りとめる。テレビ番組で視聴者からの投票をするのも携帯電話から。電話を通じて人々が繋がっている。話はそれるけれど、数年前にシンガポールの街で見かけた公告に「自殺を考える前に携帯電話で友達とお話を」というようなのがあって、携帯電話のせいで身近な人としか連絡しないためにコミュニケーション力が低下したと批判される日本と対照的だと思ったことを思い出した。