インドネシアの「マレー」とイスラム教

今回インドネシアで見つけた本と雑誌・その2。


まずは西スマトラに関する本。
Minangkabau di Persimpangan Generasi. (Yerri S. Putra (ed), Fakultas Sastra Universitas Andalas, 2007)
新旧の世代交代を経験しているミナンカバウ社会についての論集。念のために書いておくと、ミナンカバウ人とは西スマトラの多数派住民で、西スマトラとミナンカバウがほぼ同義で語られることが多い。
興味深いことに、西スマトラの大学で出されたこの本には、ミナンカバウを「tempat asal kepustakaan pribumi Melayu」「khazanah dari dunia Melayu」とする議論が載っている。この2つは表現は異なるけれど、言っていることはほぼ同じで、ミナンカバウはマレー世界における思索の源泉の地であるということ。マレー世界の「文献の郷」、あるいはもう少しわかりやすく言えばマレー世界の「心のふるさと」となるだろうか。イスラム教がこの地に伝えられ、数多くの思想家や文筆家を生んだとともに、ミナンカバウ人の男性はよその土地に働きに出る慣習があり、旅先で出版業に従事することが少なくなかったことから、ミナンカバウ人のネットワークを通じてミナンカバウ地方で書かれたマレー語書物がマレー世界(マレー語圏)に広く伝えられていった。その意味でミナンカバウはマレー世界の「心のふるさと」であると言える。
この「マレー世界」というのは、マレー語が共通語として用いられている領域全体を指し、現在の国名で言うとマレーシアやインドネシアや他の近隣地域を含む概念だ。以前も書いたが、マレー(マレー語ではムラユ)を現在のインドネシア風に狭い意味で捉えると、西スマトラ州の隣のリアウ州やジャンビ州に住む多数派住民のことになり、どうしてリアウやジャンビの人々の「心のふるさと」が隣の西スマトラなのかといった頓珍漢な反応になってしまう。
ミナンカバウをマレー世界の「心のふるさと」とする言い方は、もとはミナンカバウの外の人たちが始めた言い方だろうが、ミナンカバウ地方でもそのような言い方がされるようになってきたということは、ミナンカバウの人々が自分たちを世界の中にどう位置づけるかを考える過程でそのような考え方が受け入れられていったということだろう。
資源もないし、首都ジャカルタからも離れているため、ミナンカバウは現代のインドネシアでは経済開発から遅れて孤立した地域になりつつある。そこから脱却するには外部世界とのつながりを積極的に模索するしかない。外部世界はミナンカバウを「マレー世界の文献の郷」と捉えようとしている。そうであれば、ミナンカバウもそれに積極的に呼応しようという考えが出てきてもおかしくない。
今回の地震は、西スマトラが外部世界から孤立しかかっていることをはっきりさせた一方で、「文献の郷」などの論理を持ち出すことで西スマトラと外部世界とのつながりを強めようとする動きが西スマトラ内外で生じる契機となったと言えるだろう。


続いてリアウ関連の3冊。どれもムラユ性に関するもの。
Perempuan Walikota. (Suryatati A. Manan, Yayasan Panggung Melayu, 2008)
Melayukah Aku? (Suryatati A. manan, Alya Jaya Makmur, 2009)
Rembulan di Tanah Melayu. (Martha Sinaga, P3II, 2009)
1冊目のタイトルは「女性市長」。リアウ諸島州のタンジュンピナン市の女性市長となったスルヤタティさんが書いた詩集。市長といっても日本の市長と違い、インドネシアの市長はかなり大きな権力を持っている。女性が市長になるのはインドネシアでも珍しいことだろうが、それよりも目を引くのは、ムラユ人の文化的な中心地の1つであるタンジュンピナンの市長になったスルヤタティさんの顔がどう見ても中華系にしか見えないこと。
それを逆手に取ったのか、2冊目の表紙はスルヤタティさんがほほ笑んだ顔を大写しにして、その下に大きな文字で「私はムラユなのか?」とタイトルを書いている。この表紙はかなりインパクトがある。この本も詩集で、詩の中で「ムラユとは何か」をあれこれあれこれ考えている。
2冊目の編集を担当したのがMartha Sinagaで、3冊目の著者。3冊目も「Tanah Melayu」すなわち「ムラユの地」に関するもの。


もう1つ、ムラユ(マレー)とは直接関係なく、イスラム教に関する雑誌。
Era Muslim
第2号と第10号が売られていた。前に第3号から第6号まで見つけていたので、その前が手に入った。ただし第2号はRevised editionとなっている。バックナンバー一覧の第2号と比べると、表紙はそっくりだけれど少し違う。
第1号から全部revised editionが出ているのかどうかわからないが、第2号が「The Dark Side of 911」であることを考えると、売れそうな号だけ再版したのかもしれない。
ウェブサイトはhttp://www.eramuslim.com。これで確認すると最新号は第10号らしい。
以前書いた関連記事はこちら。
インドネシアで買った本 - ジャカルタ深読み日記
第3号から第6号までは雑誌の値段が1dhirhamだったけれど、第10号は4万ルピアになっている。ディルハムを「イスラム世界の共通通貨」と言ってしまうと正確ではないけれど、でも本の値段をディルハムで表示しているというのはイスラム世界の共通通貨で値段をつけるという意味が込められているということ。最新号の第10号が値段をルピアで表記しているということは、少しおおざっぱな言い方になるが、イスラム世界共通の通貨単位からインドネシアの通貨単位に変えたということ。
これに関連して、内容を見てみると、第10号は「インドネシアイスラム教の歴史その2」となっている。これは第9号からの続き。それ以外の号の記事は、バックナンバー一覧によれば、創刊から第8号までは(911を扱った第2号を除いて)ほとんど全てイスラエルに関するもの。これだけの情報では何とも判断できないけれど、思い切って想像を膨らませてみる。はじめはイスラム世界全体に共通の話題ということでイスラエルものを扱ったけれど、途中からインドネシアものの方が読者にアピールすると思ったので路線を変更したのではないか。雑誌の値段の表記がディルハムからルピアに変わったことと重なって見えてくる。
もちろん、こんな話に厳密な根拠を示すことはもともとできない話で、状況証拠を積み重ねていくしかない。でも、こういう話は状況証拠がどれも矛盾なく説明されていて、しかもそれによって描ける絵が十分に説得的であれば、それでいい話だろう。話はそれるけれど、ときどき学会報告などで無理やり数値を引っ張り出してきたとしか思えないものに出会うことがある。何でもかんでも数値で証拠を挙げなければならないという態度で不毛な努力を重ねることにはあまり意味があると思えない。