インドネシアの映画の本

インドネシアで見つけた本・その3。


The Year of Living Dangerously: Cinta di Tengah Gejolak Revolusi 1965. (Christopher Koch, Serambi Ilmu Indonesia, 2009)
2008年に出版された同名の小説のインドネシア語訳。もともと1978年に出版されていたらしい。表紙の売り言葉によれば、スハルト体制期に発禁になり、amazon.comでは「インドネシアについての最良の小説」であり、いくつかの賞に輝いた小説とのこと。映画にもなっていて、「危険な年」としてこの場でも書いたことがある。こんな形で出会うことになるとは。
映画「危険な年」 - ジャカルタ深読み日記


Sejarah Film 1900-1950: Bikin Film di Jawa. (Misbach Yusa Biran, Komunitas Bambu, 2009)
1900〜1950年のインドネシアの映画史。ただし「インドネシアの映画」ではなく「ジャワの映画」とされている。論文形式でしっかり書かれている序論によれば、インドネシアで映画が作られるようになったのは1926年からだが、当初は西洋や中国の映画のまねであって、インドネシア民族意識を備えた映画ではなかった。日本軍政中にはインドネシア民族主義を備えた映画が作られたが、作ったのはインドネシア人ではなく日本人だった。ということで、インドネシア民族主義を備えた「インドネシア映画」は1950年の「Darah dan Doa」以降のものであり、それ以前の部分しか扱っていない本書は「インドネシアの映画」ではなく「ジャワの映画」ということになる。といってもジャワしか書かれていないわけではなく、北スマトラ出身でマラヤにわたり、1950年代にマラヤの大人気女優となったカスマ・ブーティについてもちょっと書かれていたりする。
初版はDewan Film Nasionalから1993年に出されている。


The Inspiring Life of Habiburrahman el Shirazy. (Ahmad Mujib el Shirazy, Balai Pustaka, 2009)
インドネシアで約2年前に大ヒットして社会現象となったイスラム恋愛映画「アヤアヤ・チンタ」そしてそれに続く「Ketika Cinta Bertasbih」の原作者の人となりを弟が書いたもの。


雑誌「SWA」
2009年11月26日号には近年のインドネシア映画のチケット売り上げ数が載っていた。参考に写しておこう。
タイトル名の後のカッコ内は売れたチケット数。jutaは百万なので3.0jutaなら300万枚ということ。順序はおそらく公開順。
Eiffel I'm in Love (3.0juta)
Ada Apa dengan Cinta (2.2juta)
Petualangan Sherina (1.3juta)
Jejangkung (1.2juta)
Kuntilanak (1.2juta)
Terowongan Casablanca (1.2juta)
Nagabonar Jadi 2 (1.3juta)
Get Married (1.4juta)
Quickie Express (1.3juta)
Ayat-Ayat Cinta (3.4juta)
Tali Pocong Perawan (1.2juta)
Laskar Pelangi (4.6juta)
Ketika Cinta Bertasbih (2.4juta)
Garuda di Dadaku (1.4juta)
200万枚を超えるかどうかが1つの壁になっているようだ。