インドネシア映画『Tiga Hati, Dua Dunia, Satu Cinta』

タイトルを文字通り訳すと「3つの心、2つの世界、1つの愛」。映画のポスターには男1人に女2人。男はイスラム教徒で、女はイスラム教徒とカトリック。ということで、朴訥なムスリム男性が心やさしいキリスト教徒と美貌で富裕のイスラム教徒の2人を妻にする『アヤアヤ・チンタ』を思い浮かべてしまうが、実際にはずいぶんと色合いが違う映画だった。


まずはあらすじ。字幕がなく、しかもインドネシア語ジャカルタ方言なのかよくわからないところもあるので、聞き逃している部分があるかもしれない。
主人公のラシッドは詩人。小さい頃から両親を知らず、おじさんとおばさんに育てられた。おじさんは敬虔なイスラム教徒で、ラシッドの髪の毛がちりぢりなのが気になり、あの手この手で髪を短くさせてイスラム教徒らしい格好をさせようとする。これに対してラシッドは、イスラム教徒が白い帽子を被るのはなぜなのか、単に昔の人がしていたことに従うだけなら未開人と一緒だ、と反論する。
ラシッドはダリラと付き合っている。ダリラはキリスト教徒(カトリック)で、大きなプールがある白亜の豪邸に両親と一緒に住んでいる。両親は娘が結婚を前提にイスラム教徒と付き合うことに反対している。ダリラは、ラシッドの家を訪れるときにも十字架のネックレスをこれ見よがしにつけていたり、ムスリムの男たちが集まって歌舞にいそしんでいるところに突然割って入って一緒に踊りだしてしまうなど、「礼儀作法を知らない」ため、ラシッドのおじさんはダリラに挨拶しようともしない。
ラシッドのおじさんは、ラシッドが結婚すれば落ち着くだろうと考え、ラシッドのいとこをラシッドに引き合わせる。いとこは新聞に掲載されていたラシッドの詩を切り抜いて集めていて、詩人ラシッドのファンだった。礼儀作法をわきまえており、しかも美形で、ラシッドも少し心が動く。
ダリラの父親は、娘をラシッドから引き離す意味もあり、ダリラをアメリカに留学させる準備を整える。アメリカ留学はしたいけれどラシッドと別れたくないダリラは、あるとき考えを改める。ラシッドの家を訪れるときは十字架のネックレスを外し、イスラム風の挨拶をするようになる。そうこうするうちにラシッドのおじさんもダリラと挨拶を交わすようになり、おじさんはラシッドに対して「人生のどんな選択をしても親子であることは変わらない」と言うようになる。
さて、ラシッドとダリラの関係はどうなるのか、そしてラシッドといとこの関係はどうなるのか、と気になるところだけれど、その後は話が急に展開して、ラシッドが詩を読み、ラシッドとダリラが一緒に踊って物語が終わる。全て終わった後、文章で3人のその後の人生が説明され、誰はどんな仕事について誰と結婚したかが1人当たり4行で語られる。でも、映っている時間が短いのでせいぜい3行しか読めない。


タイトルからすると3人の物語のようだが、いとこは添え物のような役で、あまり物語に絡んでこない。それならばラシッドとダリラの2人の話に絞ってもよさそうなものを、いとこを入れたために話がわかりにくくなっている。
ラシッドはイスラム教徒だが、因習的な考え方に反発しているため、イスラム教徒とキリスト教徒の恋愛物語という枠にはあまり当てはまらない。付き合っている相手のことをおじさんに聞かれ、「どこの人だ?」「インドネシア人」「民族は何だ?」「いろいろ混ざってる」とはぐらかしていたあたりや、ストリート・チルドレンを対象にした教室でパンチャシラについて教えて、特に社会正義について詳しく語っている様子は興味深いけれど、それ以上発展することはなかった。
ということで、「宗教の違いを超えた恋愛もの」として観ると消化不良のまま終わる可能性が高いが、それ以外なら見どころがいくつかある。
髪がちりぢりで異教徒との結婚に反対された詩人というのは、昨年亡くなったインドネシアの詩人レンドラのこと。劇中で部屋の壁などに貼られているポスターにもレンドラがしょっちゅう出てくる。最後にラシッドが詩を読む場面ももちろんレンドラ。
ダリラが(教会の?)レスキュー隊に参加していて突発的な災害や事故があると駆け付けるというのは、ポスト・インド洋津波インドネシアでは何かあると国内のボランティアが駆けつける様子を象徴的に切り取ったもの。
興味深かったのは父親の描かれ方。ダリラの父親はものわかりがよく、ダリラがイスラム教徒と付き合うのを見て心配するけれど決して強いことは言わない。他方でラシッドの父親代わりのおじさんも、ラシッドに「家を出ていけ」と言ったりするけれど、出て行ったときの行き先もちゃんとわかった上で言っている。本当に家から出て行かせようとしているのではなく、しばらく考えてみろという意味だ。一見すると厳しいように見えるけれど、実際にはおじさんがラシッドに対して強い態度に出ることはない。インドネシア映画における父親の描かれ方との関わりで興味深い。
気になったのはヤスミン・アフマド監督の『細い目』との関係。ラシッドとダリラが桟橋で話しているところや、その後に雨に降られるとことは、『細い目』を思い出させる。教会でダリラを乗せたラシッドのオートバイのエンジンがなかなかかからないのもヤスミン作品にありそうな場面。監督どうしのつきあいがあったのだろうか。
ただし、最後は『Cin(T)a』のようにラシッドとダリラがぐるぐるまわって、何がどうなったんだかわからないまま物語が幕を閉じる。
そう思って街を歩いていると、『Cin(T)a』がDVDになったらしく、売られている。ぐるぐる回りながらイスラム教とキリスト教の教義が矢継ぎ早に出てくるので字幕付きでゆっくり観ないとわからないなかと思っていたのでちょうどよかった。