インドネシア映画『Tanah Air Beta』

東ティモールが1999年にインドネシアから独立して、住民の多くがインドネシア領側の西ティモールに避難し、家族が東ティモール側と西ティモール側に分かれることになった。西ティモールに母親と逃げてきたメアリーは東ティモールに残った兄と会うために国境までの長い道を歩き、兄と再会する、という話。


東ティモール西ティモールの国境には、兵士の監視下で中立地帯が設けられ、人道支援ボランティアが仲介役になって国境の両側に引き裂かれた家族が中立地帯で会うことができる。タティアナは置いてきた息子と会えるように仲介を頼むが、息子は自分を置き去りにした母親と会おうとしない。タティアナは10歳の娘メアリーを連れて国境から離れた避難キャンプの仮設住宅に入る。
メアリーは東ティモールに残る兄と再会する日を待ちながら避難キャンプで暮らしている。タティアナは仮設学校の教師役を務めている。「将来何になりたい?」とタティアナ先生に聞かれ、「父さんは兵隊になって死んだから兵隊にはなりたくない」「母さんは医者にかかっても治らないで死んだから医者にもなりたくない」と答えるマウロ君は、いつもメアリーにちょっかいを出し、メアリーに嫌いと言われている。
そんなある日、タティアナが倒れる。医者は過労だと言うが、症状が亡くなったマウロの母親と同じだと気になるメアリーは1人で国境まで兄に会いに行くことにする。メアリーが1人で国境に向かったと知った大人たちはマウロ君に追いかけさせ、マウロ君は途中でメアリーに追いついて国境まで同行する。
金がないので車に乗れず、歩くしかない。水も食べ物もない。マウロ君があの手この手で飲み物や食べ物を調達してメアリーに与えても、メアリーはあまり感謝せずに受け取り、「盗んだものじゃないでしょうね」と文句をつける。夜は野宿するしかないが、それほど大変ではなさそう。あまり大きなトラブルには遭わないが、それでもいくつかの小さめの困難を乗り越えて、ようやく国境に着く。
メアリーはボランティア・スタッフから兄が来ていることを聞き、中立地帯の再開の場所で兄を捜す。まわりには再開を喜ぶ人々がたくさんいるが、兄の姿は見つからない。あきらめきれないメアリーが母親に習った歌を歌うと、人ごみの向こうから同じ歌が聞こえてきた。念願かなって兄に再会すると、そこに母親も駆けつけた。母親は西ティモールに避難するときに兄を置いてメアリーだけ連れて行き、そのため兄は自分を置いていった母親を恨んでいたが、どうやら兄は病気だったために連れていくことができず、泣く泣く置いていかざるを得なかったようだ。兄の服を持って避難し、いつか再会できるように毎日洗濯していた。その服を見て兄の誤解が解ける。


物語としては、ここで盛り上がるというはっきりした山場があまりなく、登場人物の行動に説明が足りないので頭の中に疑問符がいくつも並ぶ。どうして子どもだけ国境に行かせようとしたのか、どうして子どもたちは道路ではなく荒野を歩いたのか、などなど。ただし、東ティモール(物語上は西ティモール)の土地は草や木がほとんど生えないところだという様子がわかっただけでも観る価値があったと思う。
冒頭の東ティモールから西ティモールへの避難の様子で、人びとがキリストの写真を貼った家財道具を荷台に乗せて運んでいたのは興味深かった。以前、何かの機会に、東ティモールではインドネシア国軍がありとあらゆる「入れ物」を持ち去り、人びとは避難するときに物を運べずに困ったという聞いたことがあったが、この映画ではみんな空のポリタンクをいくつも持って移動していた。
食事の前にせっけんで手を洗う場面が3回も出てきて、いかにも取ってつけたような印象を受けた。国際機関がスポンサーになっているのだろうか。