「タイガー・ファクトリー」(2)

東京国際映画祭のアジアの風部門で「タイガー・ファクトリー」がスペシャルメンションを受賞した。日本側とマレーシア側で共同で制作された作品で、マレーシア映画だけれどマレーシアだけに留まらない「アジア映画」になっている。これからはアジアの国別映画ではない「アジア映画」が増えていくだろう。


改めて「タイガー・ファクトリー」のおもしろさの1つは、マレーシア映画なのにマレー人が一切出てこないこと。ピンやメイは華人。ピンのおばさんも、日本行きを斡旋する自動車修理のピウ兄さんも、漢方薬を売ってくれるおじさんも、担保がないのでお金を貸してくれなかった人も華人。ピンが国際電話のカードを買いに行ったのはインド人の店。カンはミャンマー人で、ほかの「種付け男」たちもその門番もおそらくミャンマー人。最後に車の中で歌っている3人はインドネシア人。悪徳警官はもしかしたらマレー人かもしれないと思ったけれど、プロデューサーに尋ねたらインド人だそうだ。ということでマレー人は全然出てこない。
マレーシア社会はさまざまな移民や元移民から成り立っている。そこにマレー人を入れると「原住民と移民」という構図になってしまうけれど、マレー人を出さないことで新旧の移民どうしの話になっている。ピンたち華人は、ミャンマー人やインドネシア人に対して彼らは外国人移民だと思っているけれど、でもマレー人との関係では自分たちも移民扱いされることがあるわけで、その不安定な気持ちが国外に行くという考えを強めることになる。
もっとも、マレー人が出てこないからと言って「タイガー・ファクトリー」にマレー語が全く出てこないわけではなく、これもまたおもしろい。マレーシアでは、異なる民族どうしが会話するときにはマレー語か英語を使うし、定住する外国人とのあいだではマレー語を使う。ピンとカンはマレー語で話していた。シーフードレストランのおかみさんが使用人にマレー語で命じていたのは、使用人がインドネシア人で、マレー語とインドネシア語がほとんど同じため。
このように多様な言語が飛び交う映画なのに、中国語(華語や広東語)とマレー語の部分しか字幕になっていなかったのがちょっと残念。マレーシア人から見て外国人であるミャンマー人やインドネシア人が話していることは字幕を見ているだけでは理解できないようになっている。マレーシアで暮らしていると、いろいろな言葉が飛び交っていて、自分にわからない言葉があることに慣れてしまうけれど、これはマレーシア人華人のつもりになって観てほしいという演出だろうか。
最後の場面で日本に行くことになったピンが一緒に乗り合わせた3人のインドネシア人は、はじめ「出発は1時? 切符はあるの?」などとちょっとぎこちない会話を交わした後、「di sini senang, di sana senang, di mana-mana hatiku senang」(ここでもハッピー、あそこでもハッピー、どこでもハッピー)と歌っていた。これはインドネシアでは子ども時代に必ず歌ったことがあって誰でも知っている歌だそうだ。同じ車の中にいるピンが「ここではハッピーになれない」と日本に行こうとしているのに対し、「ここでもあそこでも、どこでもハッピー」という歌をかぶせている。
ミャンマー人のカンたちはバンティンに住んでいるという。クアラルンプールから西にある港町クランから少し南にいったところにある。この映画の舞台であるクランからは船で行く。国内だけれど「海」の向こうにあるミャンマー人の居留地。ピンが訪ねると、アブラヤシのプランテーションの中にある家に何家族か集まって住んでいて、キャロム(指ではじく卓上ビリヤード)で遊んでいる。キャロムはマレーシアの一般家庭でもよく遊ばれるが、ミャンマーでもとても人気の遊びだそうで、一説によるとミャンマー起源とも言われているらしい。もしそうなら、遊びはずいぶん前にミャンマーからマレーシアに来て社会に定着しているのに、人は最近ようやくミャンマーからマレーシアに入ってくるようになって、マレーシア社会でまだちゃんとした居場所が与えられていないということになる。