『あなたなしでは生きていけない』

国立民族学博物館(民博)のワールドシネマ。先月はヤスミン・アフマド監督のタレンタイムで450人の会場がほぼ満員だったが、今月はその半分ぐらい。
台湾人の友人からぜひ観るようにと勧められて行ったのだが、確かに観てよかった。観た後でいろいろと考えることが出てくる。
内容はほかのサイトでも紹介されているので略。以下、印象に残ったことをいくつか。
この作品で強調されていたのは足と靴。リーが最初にタンキーのようなものをしていたときは裸足。それから家に帰ってリーとメイが一緒に洗濯したのも裸足だった。リーは潜水の仕事も裸足に足ひれだけで行うし、台北に陳情に行ったときのメイも靴下なしで靴を履いていた。
そんな2人が引き離された後に再開する場面では、メイはきれいな革靴を履いている。そこからどんな物語が展開するのかは観客の自由な想像が許されている。以下は想像。リーは、里親のもとでしっかり勉強して社会の中で居場所を作ってから自分を迎えに来るようにとメイを諭す。メイはその言葉を胸に勉強に励む。海に潜ったリーのことを「ずっと見てずっと見てずっと見ていると見えてくる」といった言葉の通り、離れていてもずっと思っていればまた会えると信じて。そして12年後に大人になったメイが迎えにくる。しっかり勉強して政府の役人になっていた。担当部門は水産業カニ。安心したリーが12年前にメイにもらったまま開けていなかったプレゼントを開けてみると革靴だった、とか。
リーが海に潜る場面では、裸足に足ひれだったのと、海水の中で丸まった体から空気のホースが伸びていて、なんとなく胎児を思い出させる。これがどこにつながるのかはわからなかった。

一瞬しか映らなかったのでよくわからなかったのが、リーが友人の店でコンプレッサーを直してもらっているときにメイが見ていたテレビの内容。何かの劇だったような気がするが、何だったのか。一瞬しか映らなかったけれど、中華世界になじみがある人なら一瞬でも内容がわかるようなものだったのだろうか。
テレビの内容が気になるのは、メイの心の声がどこでわかるのかを考えていたため。学校に入り込んでリーが寝ている間にメイが黒板に絵を描く場面がある。メイが描いたのは海の上で釣りをしながら2人で楽しそうに暮らす絵だけれど、これは目が覚めた父親に見せて喜ばせようとして描いた絵で、いわば父親に見せるために描いた絵。それがメイの心の声を反映していないというつもりはないけれど、それだけをもってメイが心ではどう考えているかを判断するのはどうかと思う。
そう考えると、父親の生死を左右する大切な商売道具の修理をそっちのけにして食い入るように観ていたテレビの内容がメイの心の声を探るヒントになるのではないか。もしかしたら学校に通う場面とか母親と一緒に楽しく暮らしている場面が映っているのかとも思ったが、一瞬だったのでよく見えなかった。

台北でリーが議員の秘書からお土産をもらう場面。以前、台湾の地震被災地を訪問したときに行く先々でお土産をもらい、素直にありがたくいただいてきたのだが、あれはまずは断るべきだったか。「こんなけっこうなものはいただけません、お心遣いだけで十分です」「いや、受け取っていただかずに持ち帰ったら私が叱られます」とかやり取りするのが礼儀だったらしい。もし今度そういう機会があったら1回は断ってみよう。


先月同様、今月も上映後に民博の先生方による作品解説があった。台湾社会について、特にリーたちが属する民族集団である客家についての解説と、無国籍・無戸籍の子どもが置かれた状況とそれに対する取り組みについての解説。どちらの解説もそれぞれとても興味深いものだったので、映画と一緒に新しいことを知ることができてありがたい企画だと思ったけれど、それと同時に思うのは、背景に関する情報がありすぎると映画そのものの鑑賞にとってよいことだろうかということ。
『あなたなしでは生きていけない』に登場する父娘は客家系だけれど、客家であることが重要なのは、一般に客家系は家庭では母語である客家語を使い学校では国語を習うという二重言語生活を送っているけれど、メイのお父さんはメイが小さいころから家庭で客家語を使わずに国語を使っていて、そのためメイは客家語があまり話せないというあたりで。ここでは、客家そのものがどんな人々であるかということよりも、多数派でないために家庭語と学校語の2つを覚えなければならない状況を提示したうえで、リーはメイの教育のことを考えて国語だけで教育していたことが知らされる。
無戸籍の子どもの話は、日本人男女の間の子どもについては法律が整備されてきたけれど日本人と外国人の間の子どもについてはまだ十分な面ではないところがあるという一般的な話に加えて、この映画では父親と娘の間に生物学上の親子関係があり、しかも父親と娘の間に感情的な紐帯があることが見て取れるために、観客はこの親子の境遇に同情しやすいけれど、そうでない親子関係であっても同様にとらえる必要があるという重要な指摘をさらっと話していただいたのがとてもよかった。そうではあるけれど、無国籍の話とは関係なかったかも。無国籍とつなげられたためにちょっとわかりにくいところがあった。
子どもの権利を守ろうとすることは、時として親と一緒にいさせることと矛盾する。「子どもだけの権利」「子ども個人の権利」と見るからか。この映画では父娘関係がうまくいっていたけれど、うまくいっていない場合にはどうするのか。血縁関係を重視すると子どもの権利を守ることにならないかもしれない。だから血縁関係を強調するのは適切ではない。むしろ心のつながりを重視すべきという方向に話が発展しかねないが、それは客観的に示すことができないため、当事者どうしで見解が食い違ったときに納得するのが難しいし、第三者が調停するのも難しくなる。これは親子の関係というより恋人どうしの関係に近いか。


最後の最後に小長谷有紀先生の一言コメント。先月のタレンタイムのときもそうだったけれど、小長谷先生のコメントは、作品のテーマを一言で掴んで、それが最もよく表現されているシーンを思い出させて、そのもう一歩先を考える手助けになるようなヒントを織り込んで、本当に短い時間に全体で140文字ぐらいでコメントする。このコメントを聞くと、余計な解説が全部吹っ飛んで、心が洗われたような思いで会場を後にする。冗談ではなく、民博のワールドシネマには小長谷先生のコメントを聞きに行っているようなものだ。小長谷先生のツイッター映画評を集めた本が出たらいいのにと思う。