『ヒアアフター』

物語自体は災害映画ではないが、インド洋津波の場面があるというので観てみた。津波のシーンは冒頭に出てきた。少し前に観た韓国の津波映画にも似たような場面があった。災害映画で津波の水に呑まれている場面を見るたびに津波の水が澄んでいて中の人や物がよく見えることに違和感があったが、この映画の津波のシーンは海岸からすぐそばのできごとで、バンダアチェのように海沿いの住宅を壊してその瓦礫を巻き込んだ水が押し寄せてきたわけではないために透明性が高いのだろうと納得。
死んだ人の魂と話ができるという特殊な力を持った青年が登場するが、画面に映らないところで(この映画の物語が始まる前の時間に)彼がこの社会でどのような扱いを受けていたのかがあっさりと語られすぎていてよくわからなかった。死んだ人の魂と話ができると聞いても、あるいは自分の臨死体験を聞かされても、日本人だったら「そんなこともあるかも」と受け入れやすい文化的な下地があるように思う。でも、キリスト教が土台になっている社会では厳しく批判されるような考え方なんだろうか。それとも、アメリカでは度重なる戦争で身近な人が戦死している人が多くて、身近な人と最後の別れができずに別れてしまったという思いを社会全体が共有しているということなんだろうか。この映画の舞台となった社会では死者との通信をどのように受け止めていて、それに対してこの作品が何を投げかけているのかが今一つ掴めなかったので、自分でもこれは的外れだろうなと思うような感想しか持てない。この映画は死や生について考えるというより、アメリカ(欧米?)社会と日本の死生観の違いについて考える材料として見た方が意味があるような気がするのだけれど。映画の文化・社会の背景についての解説がもっと増えればよいのにと思う。