『踊れ 五虎(ウーフー)!』

大阪アジアン映画祭でマレーシア映画の『踊れ 五虎(ウーフー)』を観た。物語自体はドタバタスポ根ものということになるだろうか。
この村に伝わる60年に一度のトラ舞いをどう受け継ぐかという話。虎舞いはこの家系にしか伝えられていない。しかも寅年生まれ(しかもたぶん男)でなければならない。おじいちゃんは身体が動かない。その息子はもういない。そして孫は寅年ではない。ではどうやって虎舞いを伝えるのか。そこで考えたのが公募だった。
その一方で、観光ガイドのスイの奥さんは5人目を妊娠中。4人の娘たちは、「来弟」「招弟」「帯弟」「有弟」だったかな、とにかくどれも「弟よ来い!」という名前になっている。言うまでもなく、家を継ぐ男の子を産めっていうこと。次こそは次こそはと4人も生んだのに全部女の子だから、今度こそ男の子を産まなければならないというものすごいプレッシャーがかかっている。娘たちも、自分たちは大切じゃないんだとか言って家出しちゃったりして。
この2つの「家を継ぐ」の話が重なってストーリーが展開する。その要になっているウーフー(5人のトラ使いたち)の多くが、異性との間に子どもを作って家を継いでいくことを否定したタイプの人たちに見えたので興味深いと思ったけれど、最後の場面を見ると必ずしもそうではなかったか。


舞台は東海岸のクアンタン(のそばのBeserah村)。そう聞いて思い出すのは『愛は一切に勝つ』『夏のない年』などのタン・チュイムイ監督。その作品にも出ていた海辺をころころ転がる草がこの作品にも出ていた。風に吹かれて流れていく草。この土地に生まれながらも二等市民扱いされ、自分たちの生き方を自分たちだけでは決められない存在であるマレーシア華人と重なって見える。でも、そんな存在でもその土地で花を咲かせることができる。タンポポのように空に舞っていって、最後に花火になる。

200年前からあって60年ぶり(ということはこれが4回目?)のトラ舞いについては、実際に河南省だったかにそういうものがあったらしいのだけれど、それはともかく、60年ぶりというのが興味深い。2010年のトラ年の60年前と言えば1950年。当時のマラヤと言えば、1948年に非常事態宣言が出され、マラヤ共産党が非合法化され、左派マレー人らによるマラヤ・ムラユ民族党も指導者たちが逮捕された。マラヤ共産党も左派マレー人も、独立前のマラヤにおいて、民族の別なく全国を統一したマラヤ国家を作ろうとしていた。これを植民地政府が弾圧して、民族別政党の連合体を交渉相手に選んで、結果として民族別の政党の連合体が政府を構成することになった。そのときに抑えつけられたのが民族の別ない全国的な統合だったと考えるならば、60年ぶりの再生を願うウーフーとはその再生を祈ったものと言えるかもしれない。ウーフーの担い手5人はジョホールやペナンやイポーなどのマラヤの各地から集まっているし。もしかして「5人」というのはマラヤ共産党の星のしるしと重なっている?

ベンが村ではじめてリエンと会ったとき、「リエンという名前の女はみんな気が強いな」と言ったのに対して、リエンはそこで雇っているインドネシア人のベンを呼んできた。ベンはインドネシア人に「名前を変えろ」と言っていたけれど、これはインドネシアでは中華系住民が原住民社会への同化を強いられ、名前も中華風の名前からインドネシア原住民風の名前に変えさせられたことが下敷きになっている。
ほかにも、新聞に載りたがるマレーシア人だとか、4ケタの番号に出会ったら番号当てのくじを買ってしまうとか、マレーシアあるあるネタが満載だった。マレーシアあるあると言えば、スイがバスを運転しながら言っていた「テッパンの小話」というのはアイヒマンスタンダードを思い出させる。
ベンの実家があばら家なのに衛星放送のお皿があるとか、村で華人の男の子がテレビ番組でマレー語を勉強しているとかいう場面はアストロ放送がスポンサーであるため。この映画が流行ったというのも、マレーシアの映画業界の二大企業の1つであるアストロがバックについているという面もある。