『セカンドバージン』の舞台マレーシア

セカンドバージン』を観た。
もともとNHKでやっていたドラマであることは知っていて、何回か見たことはあった。でも登場人物の関係やストーリーを理解するほどしっかり見ていたわけではないので、劇場版を観たら話の展開が速いし登場人物の紹介はほとんどないしでやや戸惑った。でも、まあそれはそれ。作り手には悪いけれど、私はこの映画をドラマの部分は背景として見て、本来は背景であるマレーシアをメインに観たようなものなので、ドラマの部分については特にどうとも思わなかった。


では、マレーシアを観てどうだったのか。先に結論を言うと、マレーシア映画ファンならぜひ観た方がいい。うまく伝わるか自信がないけれど、『細い目』でジェイソンたちがいたイポーの路地裏と、『グブラ』で礼拝堂がある村の小道と、そしてウー・ミンジンの『水辺の物語』の魚工場がある川べりがそれぞれ出てきた。最近のマレーシア映画ファンはきっと懐かしいような気持ちになるはず。
もう少し目を凝らして見れば、アブラヤシ林の脇を歩く場面でホー・ユーハンの『レインドッグ』やバーナード・チョウリーの『グッバイ・ボーイズ』を思い浮かべるかもしれない。満月が出てくるのは『タレンタイム』。そして蝶は、ホー・ユーハンの『ミン』かな。


もちろん、気になるところがまったくないわけではない。というか、正直言うと気になってしょうがない部分もいくつかある。
看護師のリンはたぶんマレー人(あるいは少なくともムスリム)という設定で、だからスカーフを被っているんだろうけれど、前髪がスカーフから出ちゃってるよ!って声をかけたくなる。いやもちろんわかってやっているんだろうとは思う。ちゃんと前髪を隠してスカーフを被ったら「絵にかいたようなイスラム教徒」になってしまって、ドラマよりもそっちの方に観客の目が行ってしまうだろうから。
もう1つは、るいと少年の出会いのエピソード。ホテルをチェックアウトしたるいがタクシーに乗ろうとすると、子どもが寄ってきて勝手に荷物を運んでチップをもらう(しかも10リンギも!)という場面で、隣国ならともかくマレーシアであれはない。あのクラスのホテルで子どもがお客さんの荷物を勝手に持っていこうとしたらホテルの従業員に止められる。でもこれは、物質的に豊かではないけれど心は優しい東南アジアの人々(子どもたち)という「絵」がほしかったんだろう。その意味ではかなり成功していると思う。


「物質的には豊かでないけれど心はいい人たち」というメッセージは、『セカンドバージン』に繰り返し出てくる。わかりやすいのは、登場人物のうちマレーシア人で悪人はほとんどいないということ。行を拉致しようとして撃った2人組がちょっと怪しいのだけれどで、1人は広東語を話していたのでチャイニーズで、もしこれがマレーシア華人だとするとマレーシア人にも悪者がいたことになる(まさか華人はマレーシア人に含めないというひどい話ではあるまい)。でも、行は中国マフィアと関係して命を狙われていたそうなので、あれを中国人と見ればマレーシア人には悪者がいないということになる。いやまあ、あの二人組は絵に描いたような悪者なので例外扱いしてもいいと思うけど、そうすると「マレーシア人に悪者はいない」という図式が成り立つことになる。
別の例は、イスラム教徒たちの礼拝の場面。るいが水を汲みに行く泉がある廃墟のようなところは、後にイスラム教徒たちが礼拝する場所であることがわかる。廃墟のような、柱と壁の一部があるだけで、あとは何もない場所。そこで男たちが一心に礼拝している。「ぼろは着てても心は錦」というか、たとえ廃墟でも信仰心をもって礼拝しているということなんだろうけれど、実際のマレーシアだったら廃墟みたいにせずに改修するなりして礼拝の場所は整えるはず。シンガポールのチャイナタウンなどの観光地も、建物にきれいにペンキを塗ってピカピカにしてるでしょ。マレーシアの人たちは「古くなると味わいが増す」とは考えない。でもこれも、「物質的に豊かでなくても心は清廉」という絵になっている。
念のために書いておくが、現実のマレーシアと違う、だからけしからん、と言っているつもりはない。そういうマレーシア像を描くのはどのような背景があるのかに関心があるだけだ。だから、そういった「映画のウソ」も全部ひっくるめて、良くも悪くも今の日本社会がマレーシア(あるいは東南アジア)に抱いているイメージをきちんと映像にして見せてくれたところに『セカンドバージン』の価値があると思う。皮肉じゃなくてね。自然が力強く、美しく描かれているし。マレーシア紹介の授業で使いたいぐらい。でも、授業で使うにはエロいから無理だろな・・・。


それから、これは見ておかなければというのがポルトガル系の歌の場面。マレーシアにかつての入植者であるポルトガル系の子孫がいるということは知識としてはあるだろうが、実際に映像で描かれる機会はあまりない。イポーを舞台にして雰囲気はキリスト教系の病院でなぜかムスリムの看護師がいて、そこにポルトガル系の人々がいるとは。これは観ておかないと後悔する。


ところで、るいが水を汲みに行った廃墟はペラ州パパンにあるらしい。パパンと言えば、バーナード・チョウリ―のお祖父さんが豚肉の卸売りをしていた先がパパンだった。これは、バーナードの姉バーニスがチョウリー家の家系を描いた本「Growing up with Ghosts」に載っていた話。
表紙を開くと、インドの地図と中国の地図が描かれている。バーナードとバーニスの父はインドからマラヤにやってきた移民三世で、母は中国からマラヤにやってきた移民三世だった。それぞれインドと中国からどうやってマラヤに来て、そしてその三世どうしがどうやって出会ったかがドラマチックに書かれている。
バーナードの母親シウヨクは中国からの移民三世で、祖父がイポーに店を構えて近くのパパン集落などに豚肉を卸していた。
バーナードの父親は、シク教徒の家庭に生まれて、「シク教徒以外の女性と結婚するならお前を殺して自分も死ぬ」と父親に猛反対されたけれど、キリスト教に改宗してシウヨクと結婚した。改宗したときに名前をスリンダル・シンからバーナード・チョウリーに変えた。どうしてバーナードにしたのかには泣かせる話がある。そして、どうしてその息子が父親と同じ名前を名乗っているのかにもまた泣かせる話がある。
セカンドバージン』とは直接の関係はないけれど、マレーシアの映画関係者は、イポーとかタイピンとかパパンとか、ペラ州に集中しているのはどうしてだろうか。(もう1つの集中はジョホール州のムアル。)