「スールー王国軍」のサバ州侵入事件(4) 銃撃戦と軍事作戦の影響と意味

大規模すぎる?軍事作戦

3月5日、マレーシアの治安当局は大規模な軍事作戦を展開して「スールー王国軍」の殲滅に乗り出した。警察と陸海空3軍の合同で、2000人を動員して、空から、陸から、海から包囲して攻撃したという。
スールー王国軍」(という呼び方が適切かどうかは検討すべきだと思うが)は225人いたという。この数字に従うと、3月1日の銃撃戦で12人が死亡しているので残りは213人だ。2月12日頃にサバ州に上陸して、マレーシア警察に包囲され、食料も不足していたという。治安当局側は空爆するほど大規模な作戦を展開して対応する必要があったのだろうかと疑問が生じる。

与党連合が支持率回復に利用

いずれにしろ、マレーシア政府は大規模な軍事作戦を展開した。このことは、マレーシアに侵入しようとする外国勢力に対する抑止の効果を持つという意味もあるだろうが、それよりも、マレーシア国民(特にサバ州有権者)に対して、連邦政府が強い態度で国民の安全を守っているというアピールになった。今回の出来事を契機に与党連合の支持率も高まっているという。
マレーシア国内には、今回の事件について、最近支持率が低下しているUMNOが総選挙前に一発逆転を狙って仕組んだものではないかと言う人もいるようだが、UMNOや連邦政府がはじめから最後まで仕組んだものとは考えにくい。ただし、連邦政府が今回の出来事をうまく利用したということは言えるだろう。

スールー王国軍」をどう見せるか

スールー王国軍」が立てこもったのはラハダトゥのタンドゥオ村で、3月5日からの軍事作戦の対象となったのはタンドゥオ村と隣接するタンジュンバトゥ村だった。3月2日から3日にかけて、警察と武装集団の銃撃戦、警察による武装集団の逮捕、住民による武装者の撲殺事件などが起こっているが、これらはタンドゥオ村の「スールー王国軍」とどう関係しているのか。
警察は、当初両者の関係を否定していたが、後にこれらの事件も「スールー王国軍」の関係者が起こした事件だと言うようになった。その根拠は、「逮捕者の服装が「スールー王国軍」兵士に似ている」とか「死亡した武装者からMNLFの身分証が見つかった」という曖昧なものだった。

MNLFとの繋がり

MNLFの身分証が見つかったため、スールー王国軍はイスラム急進派と繋がっていると主張する人が出てきた。これに、MNLF側が「私たちが派遣した」などと言い出したため、話が少しややこしくなっているが、基本的にMNLFや他の過激派集団はほとんど関わっていないと思われる。
MNLF(モロ民族解放戦線)とは、1970年代にフィリピンで勢力が強かったムスリム反政府運動の担い手だが、1990年代のサバ州東海岸では、ふだん仕事がない地元の若者たちがMNLFの身分証を持っていて、その役割は、住民の間でもめ事が起こると(時には腕力を使って)仲裁・解決するという団体になっていた。「もしミンダナオがフィリピン政府と独立戦争を始めたら参戦するつもりか」と尋ねたら「自分はマレーシア人だからフィリピンの話は関係ない」と答えた人もいたぐらいで、MNLFの身分証を持っていたからといってフィリピンの反政府運動と繋がっていると言っても説得力はない。半島部の人たちならそう聞いて納得するかもしれないが、サバ州東海岸なら誰でも知っている話なので納得しないだろう。

話が通じない連中

それにも関わらずこのような情報を流したことは、マレーシア国民、フィリピンの政府と国民、さらに国際社会から「スールー王国軍」に対する軍事作戦の承認を取り付ける必要があり、そのため「スールー王国軍」を必要以上に大きく見せる必要があったのではないだろうか。さらに、「スールー王国軍」を非人道的・非文明的と見せる必要があったのではないか。
スールー王国軍」がタンドゥオ村を占拠した当初、マレーシア警察は英語とスルック語で書かれたビラを撒いて投降を呼びかけたという。スールー諸島ではフィリピン領でもマレー語が通じる場所がかなりあるそうだが、マレーシアで民族の違いを越えた共通語であるマレー語をビラに入れずに英語とスルック語だけで書いたということは、「スールー王国軍」が「話の通じない連中」だというイメージを与えることになる。「スールー王国軍」側に投降を呼びかけるために電話で話をしたという報道でも、「スルック語で話をした」という情報が添えられていた。

白旗を掲げて銃撃

また、3月1日の銃撃戦でマレーシアの警官2人が死亡した事件では、マレーシア警察は、「スールー王国軍」のメンバーが白旗を掲げたので投降するのかと思って近づいたら突然発砲してきたため、2人が撃たれて死んだと発表された。どんなに気に入らない相手に対してもルールは守るという文化が深く根付いているマレーシアの人にとって、白旗を掲げたので投降かと思って近づいたら撃ち殺されたというのは想像を絶する状態だろう。
スールー王国軍」側はマレーシア警察が先に発砲したと主張しており、真相はわからないが、少なくともこの情報は「スールー王国軍」が非人道的であるという印象をマレーシア国民に与え、軍事作戦の展開への支持を取り付けるのに役立ったことは確かだろう。
警察による包囲と投降の呼びかけから軍事作戦に転換する上で、3月1日の銃撃戦で半島部出身の治安部隊メンバー2人が犠牲になったことは大きな意味を持ったように思われる。もし命を落としたのが半島部出身のマレー人ではなくサバ州出身者だったとして、それでも同じように軍事作戦に踏み切り、それに対して国民(特に半島部)が同じように支持を与えたのだろうか。それを考えると複雑な思いになる。

イスラム過激派」としてのテロリストイメージ

また、フィリピン政府・国民や国際社会の支持を取り付けるため、「スールー王国軍」をテロリストとして見なそうとするが、そのため、MNLFの身分証を持っていたということに加え、「スールー王国軍」側が死亡した警官の体の一部を切り取っているように見える映像が流されたこともあった。
この映像は後に今回の事件とは無関係だと判明したが、相手がテロリストであると思わせるために遺体の一部を切り取っている場面を見せようとするということは、世間一般の認識である「イスラム過激派=テロリスト」という図式をそのまま受け入れているということではないか。それをマレーシアのイスラム教徒が行っているということをどう考えればよいのだろうか。

住民による噂

これまで見てきた情報は主に警察によるものだ、住民が噂の形で発している情報と重なるところがある。3月2日のセンポルナでの銃撃戦の始まりは、「タンドゥオ村から「スールー王国軍」が逃げてきた」との通報があったためだった。このほかに、タワウでも車上荒らしが「スールー王国軍」の仕業ではないかという通報があり、警官が調査を行っている。
これらがすべて「スールー王国軍」によるものであるかは疑わしい。それにもかかわらず地元住民が何件も通報したのは、いつもは軽微な犯罪を警察に通報しても十分に対応してくれないが、このタイミングで「スールー王国軍」と言えば調査してくれると考えたことが背景にあるのではないか。つまり、問題があることはわかるけれど「小さな犯罪」なので警察が1つ1つに対応してくれないような事態を解決するため、「スールー王国軍」兵士を見たと警察に通報したということだ。

スールー王国軍」の目撃情報の意味

現在、サバ州各地で「スールー王国軍」兵士の目撃情報が出ており、東海岸とは全く関係ない遠く離れたところでも警察に目撃情報が寄せられているらしい。しかし、これは「うちの近所でも見まわりをしてほしい」という要請だと理解しておけばよく、その対象の多くは以前から地元社会が抱えていた問題であって、実際に「スールー王国軍」兵士がサバ州の各地に潜入していて危険だということではないだろう。

半島部出身者は理解しているか

治安部隊は、「地元住民に紛れて逃げた残党を探す」と言ってサバ各地で作戦を継続しているようだ。サバ州側は国境警備や治安維持のために警察や軍を常駐させたいと思っており、そのため「残党が地元住民に紛れて逃げている」と言っていることは理解できる。今回の出来事と直接関係ないクダット地方も特別警戒地区に入っているが、これは地元出身の大臣が連邦政府で頑張ったということだろうと思う。
サバ州の人たちからすれば、「スールー王国軍」の脅威に怯えていると見せることで、治安部隊の駐留を長引かせようとしている。この仕組みは地元の警察も了解していることだろうと思うが、問題はそのことを半島部出身の治安部隊要員が理解しているかどうかだ。サバ州の民族構成を十分に理解していない治安部隊要員が、地元住民からの通報を真に受けて、ちょっとしたいざこざの関係者を「テロリスト」として対応したりしないよう祈っている。

職を失うフィリピン系住民

今回の出来事は多くの人命を失うとても不幸な出来事だったが、起こってしまったことの積極的な影響を考えるならば、サバ州東海岸で長年の懸案だった国境警備と治安維持が改善され、地元住民も外国人も、身の危険を感じずに暮らせるようになることだと言えるだろう。
その一方で、今回の出来事によって、サバ州に住むフィリピン系住民が厳しい生活を余儀なくされるかもしれない。サバ州では、「スールー王国軍」との関係を疑われて職を失ったフィリピン系住民が増えていると報じられている。彼らの多くはフィリピンに家も職もないので帰る場所はないが、このまま職が見つからない状態が続けばフィリピンに戻るしかなくなるかもしれない。でも、そうやって多くの人々がフィリピンに戻ればかえって社会が混乱して、さらなる問題を生むことにもなる。
サバでフィリピン系住民が職を失っていることが一時的な現象に留まり、これ以上事態が悪化しないよう祈っている。

サバ州のスルック人

また、「スールー王国軍」と民族的に同じスルック人も厳しい立場に置かれている。サバ州全体で約3万人いると言われるスルック人の団体は、自分たちは「スールー王国軍」と無関係であり、スールーのスルタンによるサバ領有権の主張を認めていないなどと声明を発表している。
そして、役人や議員などの社会的地位があるスルック人の多くは、本来ならこれらの団体の活動に積極的に参加してスルック人の生活環境を改善する役割を担うことが期待されているが、自分がスルック人であることを隠す傾向があり、そのためスルック人の生活環境が向上しにくいという問題があるという。

インターネットの時代に世界の出来事に目を向けること

今回の出来事はまだ終わっていないが、すでにあまりに大きな犠牲が出ていることに深い悲しみを覚える。この不幸な出来事に敢えて積極的な意義を見出すとしたら、スールー社会とサバ社会のそれぞれが抱えている課題が可視化され、解決に向かうことだろう。サバでは連邦政府が国境警備と治安維持の増強という対応を見せたが、スールーではミンダナオの和平合意と自治政府組織にスールーのスルタンの一族がどのような形で参加できるかはっきりした見通しが立っているわけではない。
今回の出来事の過程を追っていくと、全てを操っている黒幕がどこかにいて、その黒幕の思い通りにものごとが進んでいるということではなく、仮に何人かの仕掛人がいたとしても、起こった事態に対して様々な思惑を持った利害関係者が関わって、そのため事態が想像を超えて大きな犠牲を出す方向に向かっていったように感じられる。
興味深いのは、マレーシアの連邦政府も地元住民も、そして「スールー王国軍」側も、世間にどのように見られているかを意識して行動していることだ。計算違いで事態が思いもよらない方向に進むことがあるにしろ、自分たちがどの方向に進むかを世間にどのように見られているかを気にしながら決めようとしているということは、人々がどのような関心を持ってその事態を注視するかによって事態を別の方向に動かす可能性もあったということだろう。
現場で起こっていることは、人々がこれまで何年も何十年も困っており、その解決のために働きかけてきたが、それがタイミングなどのせいで世間の注目をぱっと集める事態になっただけなのかもしれない。今回の出来事も、武力でサバ州を占拠しようとしたということはなく、自分たちの存在にも気付いてほしいというアピールだけだったのではないか。それを、人々が「領有権問題」「旧王国の故地への帰還」「イスラム急進主義」などのわかりやすい言葉で語り、そのように関心を向けることで、必要とされるよりもはるかに大きな力の介入を招いたり、もともと解決が求められていた問題は未解決のまま事態だけ進んでしまったりしたのではないだろうか。
世の中で起こっていることの多くは、よその国で起こっているために自分たちの日々の暮しには直接影響がないが、よそ者である私たちがどのような関心を向けてどのように語るかによって事態の展開が変わっていくかもしれない。その意味で、紛争や事件に目を向けがちなマスメディアや学者たちは、世の中で起こっていることをただ調べて知らせるというだけでなく、起こっていることに対しても何らかの形で加担しているかもしれない。そして、どこの人々がどんなキーワードで検索してきたかがわかり、外国語で書かれたメッセージでも機械翻訳でだいたい内容がわかるような環境のもとでは、マスメディアや学者や行政だけでなく、1人1人が「記録係」として重要な役割を担ってしまっていることから逃れられない。