『ケンとメリー 雨上がりの夜空に』

締め切りに追われる毎日が一瞬途切れたので、全編マレーシアで撮影したという『ケンとメリー 雨上がりの夜空に』を観てきた。
この映画を観る人たちの多くはフー・ビンかRCサクセションのファンのようだけれど、マレーシアのファンとして観てもとても楽しめる。冒頭から1980年代頃のマレーシアのノスタルジーを感じさせる。ケン(竹中直人)が乗ったクアラルンプール行きの飛行機が緊急着陸した空港は、劇中では「ジャラマス空港」と呼ばれていたけれど、撮影したのはスバン空港。1990年代に今のクアラルンプール国際空港に移る前にクアラルンプールの空の玄関口だったところで、空港のロビーから外に出るといかにも熱帯っぽいにおいがして、異国に来たんだなあと思ったものだった。映画で使われていたのは日本からの便が到着するターミナル1じゃなくてターミナル2だろうけれど、それでもあの頃のスバン空港の雰囲気がよく出ていた。しかも、空港に降り立った片倉健の前に走ってきたのは昔懐かしのミニバス。ピンク色じゃあなかったけど。
ほかにも、ケンたちがトラックで立ち寄った休憩所の看板が「Golden Harvest」だったりとか、いろいろ小ネタが挟まれてる。


一番の見どころは、トラックの運転手のたまり場でケンがビールを飲んで盛り上がって、舞台の上でブルース・リーの真似を披露するところ。運転手たちが面白がって見ているんだけど、演技ではなく本当に面白がって見ている。
もう1つ見どころを挙げるなら、ユカリ役の北乃きいのマレー語の流暢さ。ちょっと早口でごちゃごちゃっと話しているので聞き取りにくいところがあるけれど、口調はマレーシアによくいるマレー人そっくり。文法を覚えて頭の中で日本語から翻訳して話しているんじゃなくて、耳で聞いたまま話している感じ。聞いた音を捉えて再現するのが得意な人なんだろう。
それに対して竹中直人のマレー語の台詞は、1つ1つの音をはっきり発音していて、流暢ではないのだけれど、まるで昔のマレー映画の大スターのP.ラムリーを思い出させるような話し方で、そこがまたいい味を出している。しかも竹中直人のマレー語の台詞は「bunuh saya」のようにかなり大仰なものだったりするので、その意味でもまるで昔のマレー映画に出てくるスルタンのよう。


あまり細かいことを考えずに笑って楽しめばいい映画で、マレーシアのウソとホントがごちゃ混ぜになっているのが面白さの源なので、実際のマレーシアに照らしてどこがどうだといちいち挙げるのは無粋だろうけれど、でもまあそういう楽しみ方もあるということで、マレーシア関係のメモを書いておこう。
マレーシアの北部に緊急着陸した竹中直人が会社の商品サンプルを届けるため、そしてマレーシアの学校で日本語を教えている娘ユカリの結婚式を阻止するためにクアラルンプールに向かうんだけれど、緊急着陸した空港はマレーシアの北部らしい。トラック運転手のメリー(フー・ビン)が地図で指したのはクランタン州のコタバルあたり。確かに、空港そばの場面ではDナンバーの車が多い。そこからトラックで東海岸を南下する。トラックが走っているシーンではときどきいかにもイポーあたりの高速道路を走っているところも挿入されるけれど、背景の景色がいいのでそれは愛嬌。
クアラルンプールに行く途中で別の用事ができて、南部のジョホールバルに向かう。ジョホールバルだったらそのまま海沿いの道を行くよりもいったんクアラルンプールまで行って高速道路で南下したほうが早いんじゃないかとも思うけれど、小龍がそうしろっていうんだからしょうがないね。小龍というのはフー・ビンが乗るトラックの名前だけど、車体の所有者名は確かに「Mary Ma」と書かれている。「メリー」というのはどこから来たんだろうか。
ユカリが日本語を教えているのは国民型華文小学。マレーシアの公立学校は、中学校以上はみんな国語のマレー語だけど、小学校はマレー語、華語(中国語)、タミル語で教える3種類あって、だいたい民族ごとに分かれている。国民型華文小学は華語で教える小学校。(学校の名前はちらっとしか見えなかったけど武来岸新村国民型華文小学かな。武来岸新村はKampung Broga。)教室の黒板の上には「自立自強」なんていうスローガンが貼り出されていたりして、華語で授業をしている様子が伺える。でも、画面に映る生徒たちはほとんどマレー人で、女の子はみんなイスラム教徒用の被り物をしている。まあ、最近では子どもの教育のために国民型華文小学に子どもを通わせるマレー人も増えているそうだけれど、でもマレー人ばかりにしたのは画面映りのためかな。
このあたりは、一昔前のマレーシアではなかったことだけれど、最近のマレーシアではもしかしたらあるかも、という部類に入る。だから、「ない」と断定するのは難しくなってきている。小学校でユカリの結婚式の準備をしている場面でも、マレー人の結婚式の飾りと華人の結婚式の飾りが一緒に飾られていて、これもマレーシアではまず見られない光景だろうけれど、外国人の映画だからあり。フー・ビンの仲間の運転手たちが警官を襲撃する場面だって、マレーシア人の監督には撮れないかもしれないけれど、これも外国人が撮る映画の中ならかまわない。それと同じで、国民型華文小学にマレー人ばかりがいてもおかしくない。
念のために書いておくと、マレーシアの現実と違うからけしからんと言っているのではまったくなくて、その逆。映画の中だからこそ、今は現実にはないマレーシアを描くことができる。トラックのラジオから「雨上がりの夜空に」の中国語版が流れて、ケンとメリーが「本物だ」「偽者だ」と言い合う場面は、本物とは何かを問いかけてる。
ヤスミン・アフマド監督は「もう1つのマレーシア」を美しく描いて、それがヤスミン作品の魅力なんだけど、美しくないのもマレーシアの魅力だったりして、美しくない面も含めて「もう1つのマレーシア」を面白おかしくそして力強く描いたのが「ケンとメリー」かな。
さらに言えば、「ケンとメリーは、マレーシアにマレー系、インド系、中国系、そして日本人がいろいろ集まっていることをよい意味で「アジア的」と捉えているけど、現実のマレーシアにいるインド系や中国系の多くはインド国籍や中国国籍ではなくてマレーシアで生まれ育ったマレーシア国籍のインド系や中国系だっていうことはあえて見ないことにしている。そのことも、最近ちょっと優等生ぶって自分たちと外国人の線引きを意識するようになったマレーシア人に、みんなもともといろんなところから来た人だったじゃないかと呼びかけているかのよう。
だから、マレーシアの人たちが「ケンとメリー」を観てどんな感想を出すかにとても興味がある。もしかしたら、トラック運転手たちが警官を襲う場面を切り取ってきて、「外国人を野放しにしておくと治安が悪くなる、だから外国人の取締りを強化しろ」なんていう話を結び付けられたりして。いやほんとに、そういう人が出かねないと思う。
ほかにも、小龍とかミニバスとかいろいろ乗り物が出てくるけれど、小龍という名前にもよらず乗り物たちはどれも女で、男たちは乗り物を運転しているように見えながらも実は女たちに操縦されているっていう話とか、アジアは中国のマネーと日本の物語という2つの焦点を持った楕円だ(それはアジアの別の国々で続編が作られていくと全体で明らかになっていくんじゃないかと思う)とか、いろいろ深読みしがいがありそうなところはあるけれど、それはまた別の機会に。