「ノヴァ UFOを探して」

東京国際映画祭で「ノヴァ UFOを探して」を観た。いろいろな楽しみ方ができる映画。


高校時代の同級生が15年ぶりに再会してUFO探しの映画撮影の旅に出る物語。マレーシアであるかないかとは別に、青春物の映画としてとてもよくできた楽しい映画だった。でもそのことはいろいろな人が書くだろうからここでは書かない。


もう1つの楽しさは、マレーシアの若い映画人たちが、マレーシア内外の映画人たちに敬意を払いつつ、それをひねって受け止めて新しいマレーシア映画を作ろうとしている様子がよくわかって楽しかった。作品中で引用されているマレーシア映画界のエピソードがわかるともっと楽しくなるだろうけれど、それは別の機会に。


ここではちょっと別の角度から見たおもしろさを紹介したい。以下、物語の核心部分に触れているところがあるので、未見の方はご注意を。
以下に書くのは、例によって作品の作り手たちの思惑とはまったく無関係の深読みなのでそのあたりにもご注意を。(ちなみに、このブログを始めた頃は「深読み」は消極的な意味あいの言葉だと思ったけれど、最近では肯定的な意味あいで使われることも増えている気がする。かつての「深読み」にあたるのは「妄想」とからしい。ということで、以下に書くのは作品の作り手たちの思惑とはまったく無関係の私の妄想です。)


先に結論を書くと、「ノヴァ UFOを探して」は、独立して50年を迎えたマレーシア社会がこれまでを振り返ってこれからどこに向かうべきかを考えている中で、その問いに対するマレーシア映画人の「93年世代」からの応答になっている。
独立して50年を迎えたマレーシアでは、これまでの50年を振り返って、これからどの方向に進んでいけばいいかが、社会全体で考えるべき課題になっている。日々の目の前の課題の方が身近なので、かしこまって「これからの50年をどうするか」と議論したりするというわけではないけれど、社会全体でそのことを意識している様子が漂っている。経済開発と成長を優先した社会でいいのかとか、政治・経済も文化も民族別に分けた社会でいいのかとか、大小いろいろ課題はあるけど、結局のところ、これまで自分たちが歩んできた道は適切だったのだろうか、これからどの方向に向かっていけばいいのかを少し迷っている。
「ノヴァ UFOを探して」もそう。高校を卒業して15年ぶりに再会した男の子たち。外見を気にして、世の中にわかりやすく評価される分野で映画俳優として大成功を収めたイジャム。世間に全く評価されなくても自分が追い求めるものを作り続けてきたバーグ。そこそこまじめにやっていればなれる教師になり、本か映画で仕入れてきたような理想の教師像を着任初日に生身の生徒にぶつけたけれどどうにも噛み合わないトーユ。頼みごとでも恨みごとでも来るものは何でも受け止めて呑み込み、体も太目サイズのアリ。
バーグが荒唐無稽なエイリアンものの映画を撮ろうと持ちかけ、イスラム映画のイマーム役を演じてスーパースターになったイジャムと口論になる。イジャムの「50歳になっても遊んでるつもりか」という問いに、バーグは「そのどこが悪い」と応じ、逆にイジャムに「自分らしくあることを忘れてる」「流行を追ってるだけだと自分が存在しないのも同じ」と言葉を向ける。
高校卒業から15年ということは32歳ぐらいで、登場人物にとってもほぼ同年代の作り手たちにとっても「50歳」というのはまだまだずっと先というぐらいの意味でしかないのだろうが、「50になっても遊んでるのか」「流行を追うだけだと存在しないのと同じ」という二人の言葉は、独立して50年を迎えて、これまでの自分たちの歩みは正しかったのか、マレーシアらしさとは何なのか、外国の真似をしているだけでは自分たちらしさを失ってマレーシアという国は無くなってしまうのではないかと戸惑っている今のマレーシア社会にそのまま刺さる言葉になっている。


これまでの50年間、自分たちはうまくやってきたのか。「ノヴァ UFOを探して」では、それを評価する役としておじいちゃん世代を登場させた。バーグがおじいちゃんに出会った学校が設立されたのは1907年。マラヤ連邦が独立した1957年のちょうど50年前だ。独立から50年の自分たちの歩みを振り返るにあたって、そのさらに50年前から歩んできたおじいちゃんを登場させて、バーグに「心のままに生きてきた これからも続けなさい」と言わせた。この言葉は、直接的には、誰にも評価されない実験的映画を撮り続けたバーグ個人に向けられたものだけれど、さっきのイジャムとバーグのやり取りに対する答えでもある。


バーグはどこに行ったのか。「ノヴァ UFOを探して」は、高校時代の過去と撮影の旅に出ている現在の間で何度か行き来している。ということは、ほかにも部分的に時間が前後しているところがあってもおかしくない。さらに深読みをたくましくするならば、バーグが学校でおじいちゃんに会った場面と、バーグが去っていく場面は、同じ出来事を別の視点から撮ったものなんじゃないだろうか。だとすると、UFOの正体は凧なのかも。