マレーシア映画『Desolasi』

主人公アイマンがクアラルンプールを駆けまわる。CGを駆使して、魚が空を飛び、クアラルンプールを恐竜が走りまわる。
CGで思いがけない絵を見せるという部分と、一般にわかりにくい症状を持った人を社会にどう受け入れるかという部分と、神との関係をどう考えるかという信仰の部分の3つが組み合わさっている。
とにかく映像を見てびっくりというのがこの映画の一番の特徴で、全体の筋を紹介してもあまり意味がないだろうから、以下は思いついた断片のメモ。物語に辻褄があわないところも若干あるけれどそれは気にしない。
信仰の部分は、若干説教臭いところはあるけれど、でもそれを堂々と主張しているところがマレーシアのマレー人ムスリムらしくて好ましい。これは大ヒットしたイスラム・ホラーの『Munafik』に通じるテーマ。イメージが重なると思ったら、『Desolasi』のアイマンを演じているのは『Munafik』のアダムを演じているシャムスル・ユソフだった。
アイマンはヒロインを救おうとして苦境に身を投じる。主人公が自身のリスクを背負ってヒロインを助けようとするという臨み方はマレー映画ではあまり見ないパターンかも。
アイマンがクアラルンプールのチョーキットで銃を乱射する場面は、1987年のチョーキットでの銃乱射事件を思い出させる。深読みを逞しくするならば、1987年の事件の犯人は脳の障害で幻覚を見ていたかもしれないということか。
アイマンの奇行の原因はアントン症候群と説明される。マレーシアではこのところ病気や障害がある人を社会に受け入れるというテーマの映画がけっこう多い。『Tulus Ikhlas』(劇場では未公開かも。マレーシア航空の機内上映で観た)は、2012年のペトロナスCMを長編に発展させたもの。エンドロールに「ヤスミン・アフマドに捧げる」と出てくるように、病気や障害がある人を取り上げた作品は「ヤスミン的」と言われたりする。「ヤスミン的」をそのように理解することの妥当性はともかく、聴覚障害者を取り上げた『Pekak』では反社会的な場面があったためにマレーシアで「社会の風紀を乱す」と批判されたのもヤスミン作品と通じるところがある。『Redha』は実話をもとに父親が自閉症の息子と向き合って生きるという話で、『グブラ』のスラウ管理人を演じたナムロンが主演。