キリスト教タブロイド紙

キリスト教本屋で手に入れたタブロイド紙を流し読みして気になった記事をいくつか紹介。
インドネシアではカトリックプロテスタントは別物と書いたばかりだけれど、ここではまとめて「キリスト教」とすることでお許しを。)


まず『Mitra Bangsa』紙。このタブロイド紙のキャッチフレーズは「Misi Transformasi Membangun Indonesia」。タイトルに「バンサ」が入っていたりキャッチフレーズが「インドネシア建設」だったりするのが興味深いけれど、それは置いておくとして34号(2008年1月号)の記事。
以前ここでも紹介したことがあるバタック人音楽家のフィキ・シアニパルが取り上げられていた。近頃の若いバタック人には自分がバタック人であることを恥じて隠そうとする人が少なくないが、フィキ・シアニパルはその意味で例外的なバタック人だとのこと。
「若いころはバタック音楽を聞くだけで吐き気がした」と語る彼は、2002年にインドネシアの地方音楽に目覚め、それ以来バタック音楽を中心に音楽活動を続けてきた。最近のアルバム「インドネシアン・ビューティ」は、インドネシア各地の地方音楽を現代風にアレンジしたもの。


同じ『Mitra Bangsa』紙の第35号(2008年2月号)では、インドネシア州知事の25%がキリスト教徒で、これは総人口にキリスト教徒が占める割合(10%)に比べるとかなり高いとの記事。ただし、問題はインドネシアでは全国レベルで通用するキリスト教指導者がいないこととのこと。


『Tabloid Reformata』紙のキャッチフレーズは「Menyuarakan kebenaran dan keadilan」。隔週刊で、手に入れたのは第77号(2008年2月16〜29日号)。
ジャカルタ市では2007年8号条例で2008年1月から市内の料理店で店頭のハラル表示を義務付けた。条例の条文を厳密に適用すればマナド人、バタック人、華人などの非ムスリムの料理店にも適用されるため、「ハラル都市」ジャカルタでは外食で豚肉料理が食べられなくなる。


同じ号に質問コーナーがあり、「神さま(Tuhan)には何を命じられても私たちは従うだけなんでしょうか、神さまにお願いして命令を「値切る」ことはできないでしょうか」との質問が寄せられていた。これに対する回答は、「神さま(Tuhan)とは、創造主であり、絶対の力を持つアッラーであり、至高のアッラーなのです」で語り起こし、聖書の引用などを交えてAllahについて語り、最後にTuhanについてまとめている。
読者の質問ではTuhanを使っていたので最終的にはそれで答えるけれど、自分の馴染んでいる聖書にはAllahと書いてあるので説明の箇所ではAllahを使った、ということだろうか。


『Zaitun』のキャッチフレーズは「Dari Umat demi Persatuan Umat」。「ウマットによるウマット統合のための新聞」といったところか。これはキャッチフレーズにウマットが出てくる。
第43号には、マレーシアで非ムスリムの出版物での「Allah」の使用を認めないという発言についての記事があった。この発言をしたのはアブドゥッラー・ムハマド・ジンという人物で、確か首相府相だったはずだけれど、この記事では「イスラム教担当大臣」とされている。
この記事では、イスラム化する前からアラブでは神をAllahと呼んでいたのでAllahをムスリム限定とするのは誤りであるなどの主張に加えて、この措置によってインドネシアで刊行されたキリスト教関係の書籍をマレーシアに輸入することができなくなったことについても触れられており、サバの教会から見直しを求める声が出ていることなどが紹介されている。
マレーシアの半島部ではもともとマレー語でキリスト教の活動をしている人がごく少数でしかないため、キリスト教関係の出版物で「Allah」と書くことを禁止する意味はほとんどないのだけれど、それなのにマレーシア政府が「Allah」にこだわったのは、問題はキリスト教ではなくインドネシアだったということなのだろう。