映画「The Leap Years」−−アジア版SATC

シンガポールでしばらく前に話題になっていた映画「The Leap Years」のDVDを手に入れた。
シンガポールで制作された「英語」の映画。「英語」というのはシンガポール英語を完全に排しているため。


映画としては、後で書くように3つぐらいの理由であまり楽しめなかった。でもいくつかは狙ってやったことだろうから、この映画がターゲットにしている客層から私が外れているということなんだろう。
積極的に評価するなら、この映画はアジア版「セックス・アンド・ザ・シティー」を目指したもの。恋愛小説作家リーアンを中心に、小学校時代からの仲良し4人組の20代から40代までのお話。舞台がシンガポールなのに登場人物がみんなアメリカ英語を話していたり、リーアンの話し方がSATCの日本語吹き替え版のキャリーと雰囲気がそっくりだったりする。
TLPが「アジア版」だというのは、本家のSATCが男たちとの関係をあけすけに語るので人気だったのに対し、TLPでは主人公のリーアンが何人かの男性といい関係になりながらも結局誰とも結ばれずに運命の男性を辛抱強く待ち続けているから。それをアジア的価値と結び付けているような気がする。「シンガポール版」といってもいいかもしれないけれど、冒頭に中国占いのシーンを入れているのはシンガポールという都市だけの話ではなくアジア(ここでは中国とほぼ同じ意味)での話という意味が込められていると考えて「アジア版」としておこう。
アメリカ映画にアジア人を出してエキゾチックさを演出することがあるけれど、アジア系アメリカ人を使うとどうしてもアジア人から見て浮いた映画になってしまう、だからアジア人でアメリカのマインドがわかる自分たちが同じ設定で映画を撮ってみた、という製作者側の声が聞こえてきそう。これを別の角度から見れば、シンガポール人にはアメリカ人のマインドを内面化した人が少なからず存在しているということなのかも。


2月29日生まれのリーアンが運命の男性を辛抱強く探し求め、最後に手に入れる物語。母親も友達たちも、リーアンは幼なじみのKSといずれ結婚するものと思っていた。ところがリーアンは24歳の誕生日に思い立ち、カフェでたまたま見かけた男性ジェレミーに声をかけて付き合い始め、そこから物語が動いていく。誕生日に声をかけたのは、5世紀のアイルランドでは4年に1度の2月29日だけは女性から男性に愛の告白をすることが認められており、しかもその日に告白された男性は拒否してはいけないのだそうで、変化を求めてそれに従ってみたもの。ジェレミーはわけあってリーアンと付き合えないけれど、4年に1度会おうという約束はずっと続く。


映画の中の現在は48歳の誕生日で、これまでの4年に1度の誕生日にリーアンが男たちとのあいだで起った出来事を振り返る形で物語が進む。
24歳。誕生日にデートするというKSの誘いを断る。たまたま見かけたジェレミーに声をかけて夕方一緒に過ごす。別れ際、ジェレミーに「もう会えない」と言われて、4年に1度の再開を約束する。
28歳。再開したジェレミーに「結婚していて3歳の娘がいる」と言われ、ショックを受けるリーアン。KSは「しばらく距離を置こう」と言ってヨーロッパに旅立つ。パーティーでレイモンドに紹介される。
32歳。ヨーロッパから戻ったKSに婚約者を紹介される。ジェレミーに会い、「2年前に結婚した」と嘘をついてしまう。
36歳。レイモンドとの結婚を決める。ところがジェレミーが約束の場所に書き残した手紙をKSが披露宴で読み上げ、それを聞いたリーアンは披露宴会場から逃げ出してジェレミーのもとに向かう。
その後の様子は映画では直接描かれないが、ジェレミーからの手紙から考えると、ジェレミーの妻は病気で亡くなっていて、ジェレミーが娘をリーアンに紹介して、ジェレミーとリーアンが結婚したのかはわからないけれど、ジェレミーらしい男性がこん睡状態になっていて、ジェレミーの娘と同じ名前の若い女性がリーアンと同居している。
そして48歳の誕生日。こん睡状態の男性に対して、「4年に1度この日に会う約束だから目覚めて」と祈っている。


この映画がわかりにくかった理由は3つ。
第一に、物語の説明が足りないために筋がわかりにくかった。
4年に1度のジェレミーとの再会にどうしてこだわるのかがよくわからないまま物語が進んでいった。観終わってから考えれば、リーアンが運命の人との出会いをずっと待っているという話と、ジェレミーがリーアンにとっての運命の人だという話を重ねれば理解できる。でも、24歳のときにたまたま出会ったジェレミーのことをリーアンが運命の人だと思ったということがしっかり伝わってこなかったため、たまたま見かけただけのジェレミーとの関係にこだわる理由がわからず、頭の中の疑問符がなかなか消えなかった。
もう1つは、こん睡状態の男性が誰なのかが最後までわからなかったこと。4年に1度の約束の話や、その男性の娘の名前などから考えて、おそらくジェレミーだろうという気はする。もしそうだとすれば、運命の人をずっと待ち続けているという話の辻褄も合う。でも、こん睡状態の男性が黒髪なのでジェレミーではないはずだという頭で見ているため、KSなのかレイモンドなのか、あるいは別の男性が出てくるのかと最後までわからないまま話が進む。(しかも、どうしてこん睡状態なのかは結局明らかにされないまま。)
第二に、リーアンの考え方や行動が理解できなかった。傍から見て付き合っているKSという相手がいながら見も知らずのジェレミーに声をかけてみたり、あまり気が乗らないのにレイモンドとの結婚を受け入れてみたり、でも披露宴から逃げ出してしまったり。まあこれは考え方の問題なので、私がこの映画の想定する客層と違っていたということでしかないのだろう。
第三に、舞台がシンガポールである理由がほとんど感じられなかったこと。シンガポールが舞台なのに登場人物がみんなアメリカ英語っぽく話していることからして気に入らないし、登場人物はどれも民族性が希薄だし、会話はどれも上滑りしているし、シンガポールらしい風景も観光プロモーション程度にしか出てこないしで、どうも性に合わない。
劇中、リーアンはお母さんと中国語で話しているけれど(なぜかシンガポールで多数派の福建語ではなく広東語)、これも「アジアらしさ」を表現するために取ってつけたようなものとしか感じられなかった。
いろいろな民族的背景の人がアメリカ的マインドを共有して共通の価値観を育てている社会は本当に理想的なのかとか、シンガポールはそっちの方向に向かおうとしているのかとか、すっきりしない。でも、私の好みではないけれど、歓迎する人もいるのだろうとは思う。


原作は、西洋人男性とアジア人女性の恋愛ものをいくつか書いているキャサリン・リムの『A Leap of Love』。原作には映画で描かれていない部分も書かれているらしいので、上にあげた3つのうち1つ目は原作を読めば解消されるかもしれない。
なお、映画の物語とは関係ないけれど、この映画の音楽が坂本隆一のMerry Christmas Mr Lawrenceに酷似しているという指摘もある。
http://www.mygreyworld.com/blog/2008/05/07/merry-christmas-mr-lawrence-for-the-leap-years-not/