「グブラ」――オーキッドと「もう1つの物語」、2つの「逆転」

「細い目」は「現実には存在しないマレーシア」を美しく描いた映画で、その中心にいるのが、現実のマレーシアにあるさまざまな関係を「逆転」させているオーキッドだ。では、「細い目」の続編である「グブラ」でオーキッドの「逆転」はどうなったのか。
「細い目」から7年後のオーキッドたちを描いた「グブラ」で、オーキッドは自分よりかなり年上のマレー人男性であるアリフと結婚している。
アリフはオーキッドを「守る」存在だ。冒頭で病院に向かう車の中で、アリフはオーキッドを落ち着かせようと「君のお父さんのように君を守ってあげる」「君の友達のように君と親しくしてあげる」などといろいろ声をかける。
ここでのポイントは、アリフが「父親」「友人」などの型にはめて関係を捉えていること、そしてアリフがオーキッドを「守る」存在であることだ。型破りで、女が男に守ってもらう必要はない!と言いかねない「細い目」のオーキッドからは想像がつかない関係だ。
でも、この関係を見ていてあまりちぐはぐ感はない。その背景には、父親が倒れたためにオーキッドが大慌て(グブラ)の状態にあることや、アリフがオーキッドよりずいぶん年上であることもあるのだけれど、何よりも、オーキッド自身がアリフの前で「あるべきマレー人女性」をきっちりと演じているためだ。
オーキッドは、アリフに(自分の親の前でも!)名前ではなく「ブダ・クチ」(ちびちゃん)と呼ばれている。また、シャワーを浴びるときにアリフが誘ってくれなかったと拗ねてみせる。「細い目」でのオーキッドの「暴れぶり」を見て胸がすっとした者として、「グブラ」の冒頭のオーキッドはどこか物足りなく映る。
(もっとも、アリフは型にはめようとするとはいえ、ものごとの処理の手際はとてもよいため、アリフにしたがっている限り安定した豊かな生活が期待できる。マハティール首相のもとで安定と成長を享受してきた現在のマレーシアのマレー人主流派とイメージを重ねることもできるだろう。)
ところが、オーキッドは病院でたまたまジェイソンの兄と出会ったことで、「型にはめようとする圧力」から自分を解放し、こう言っては月並みだけれど、「自分らしさ」を取り戻していく。病院の廊下で威勢よく跳び跳ねてキックボクシングのまねをしてみたり、道路を走るピックアップの荷台に立ってみたりというのがオーキッドらしさを取り戻していく過程だ。
話はそれるが、自分らしさを取り戻すとき、なぜオーキッドはキックボクシングのまねをしてみせたのか。オーキッドはジェイソンの兄に、「わたし、キックボクシング習ってるのよ」と言っている。どうやら自分の意思で習っていたらしい。
これで思い出すのは、「細い目」でジェイソンがオーキッドに自分の本名はリー・シャオロンなんだと明かしたとき、オーキッドは「カンフー・スターのブルース・リーからとった名前ね、私はジェイソンもシャオロンもどっちの名前も好き」と語っていた。その後、オーキッドはジェイソンを失ってしまったけれど、ジェイソンとの思い出である格闘技を学んでいた(とまでは映画では描かれていないけれど、おそらくそういうことだったのだろう)。だからこそ、ジェイソンの兄に会ったのをきっかけに自らを解き放ってかつての自分を取り戻したとき、ジェイソンとの思い出の1つだった格闘技が出てきたのだろう。泣ける場面だ。


このように、「グブラ」の後半でオーキッドは「細い目」のオーキッドらしさを取り戻し、「実際にはいないマレー人」として描かれていく。とはいえ、全体を通してみると、オーキッドが「実際にはいないマレー人」である場面は最後のほんのわずかの時間だけだ。
これにかわって「グブラ」で「実際にはいないマレー人」の役回りを担っているのは、オーキッドたちの物語と並行して進む「もう1つの物語」に登場するビラル(モスクの管理人)だ。彼は、犬に触ったり、妻にかわって料理をしたりと、マレー人男性らしからぬ態度を取り続ける。(「グブラ」がマレー人保守層から批判を受けたのもこういった場面だった。)そして、隣に住むティマとキアにさまざまな形で慈しみの心を見せるけれど、理想的な結末には至らず物語が幕を閉じる。
そちらの物語についてはまた別の機会に書くとして、「グブラ」では、「もう1つの物語」のティマとキアがその後どうなったのかという謎が残る。これ以外にも、「細い目」や「グブラ」には、物語の中で完全に明らかにされていない謎が多い。
例えば、ジェイソンとオーキッドは前から知り合いだったのかとか、「細い目」には小さい頃のジェイソンとオーキッドかと思わせるような少年と少女が出てくるがこの2人はいったい誰なのかとかいった謎だ。ついでに、オーキッドとジェイソンの2人の恋の物語は、結局のところ報われないまま終わってしまったのかという謎も挙げておこう。
これらの謎の答えを知るには、ヤスミン監督によるオーキッド一家シリーズの第3作である「ムクシン」を観なければならないようだ。
(この記事は「malam−マレーシア映画」の2007年6月24日付けの記事からこの場に引っ越したものです。)