「ムクシン」――オーキッドとジェイソンの恋の行方

「ムクシン」(Mukhsin)では、「細い目」と「グブラ」に続くヤスミン・アフマド監督のオーキッド・シリーズの続編として、前作までに謎が解かれなかったオーキッドたちの物語にどう決着がつけられたかがまず気になってしまう。最大の謎はオーキッドとジェイソンの恋の行方だろう。まず、「細い目」と「グブラ」でのオーキッドとジェイソンの関係をざっと振り返っておく。

(以下、引用部分は「細い目」と「グブラ」のストーリーと結末に関する情報あり。)
「細い目」で、オーキッドとジェイソンはいったん互いの気持ちを確かめ合い、しかも家族も友達も誰もが2人の関係を祝福して迎えたが、ジェイソンの他の女性との関係が原因でオーキッドはジェイソンを許せなくなり、2人の関係は断たれてしまう。関係が修復されないままオーキッドはイギリス留学のため空港に向かい、ジェイソンはもう一度自分の気持ちを伝えようとオートバイでオーキッドたちを追いかける。オーキッドは車の中でジェイソンからの手紙を読んでジェイソンを許し、改めて気持ちを伝えようとジェイソンに電話をかける。ジェイソンが電話に出たかと思いきや、実はジェイソンは事故に遭っており、頭から血を流して道路に横たわっているのだった。「細い目」はこれで幕が閉じる。
続く「グブラ」では、ジェイソンが交通事故で死んだこと、しかも事故が起こったのとオーキッドから電話がかかってきたのがちょうど同じタイミングだったことが明らかにされる。夫のアリフと別れる覚悟を決めたオーキッドは荷物をまとめてアリフの家を出て、両親の家に戻る。そのとき結婚式に臨む花嫁のように整った格好をしていたのは、両親の家に戻る途中でジェイソンの家に立ち寄るためだったのだろう。ジェイソンの家では、ジェイソンが残していた写真や手紙などを形見としてお兄さんから譲り受ける。
「グブラ」のエンドロールの後でオーキッドがもう一度登場する。オーキッドがベッドで寝ているところに電話がかかってきて、半分寝たまま短いやり取りをして電話を切る。カメラが引いてベッドの隣が映ると、オーキッドの隣には男性が寝ており、「誰からだった?」と尋ねる。実はこれはジェイソンで、オーキッドの短い答えの後、2人はまた眠りにつく。これで本当に幕が閉じる。
ジェイソンが生き返ったわけではないので、オーキッドの空想の世界なのか、それともエンドロールの後は「もう1つのストーリー」ということなのか、とにかく、映画の中の「現実」ではないけれど、2人は結ばれたということなのだろうか。
なお、オーキッドによれば、その電話はオーキッドのお母さんからで、「夜明け前の礼拝の時間だから2人とも起きてきなさい」という内容だったらしい。これは、オーキッドだけでなくジェイソンもムスリムであることを暗示している。

まだ十分に頭の整理がついているわけではないけれど、もしかしたら、オーキッドは精神の世界でジェイソンと結ばれたということなのかもしれない。もちろん、オーキッドが後追い自殺するというようなことではなく、現実の世界でも生きていくのだろうけれど、頭の中のどこかにジェイソンとの暮らしも存在していると考えればいいだろうか。うまく説明できないが、もしかしたら一種の「生まれ変わり」によって、現実のオーキッドとは別の世界で2人で暮らしているということなのかもしれない。
こんなことを考える背景の1つに、「グブラ」でジェイソンのお兄さんがオーキッドに生まれ変わりについて尋ねたとき、オーキッドは即座に否定するけれど、そのすぐ後でまあ受け入れてもいいという態度を撮った場面がある。言うまでもなくオーキッドはイスラム教徒なので、仏教徒であるジェイソンのお兄さんが言う「生まれ変わり」はそのままでは受け入れられない。まあ受け入れてもいいという態度をとったのは、相手がそう考えることを受け入れるということなのだろう。(このことは、「グブラ」の最後で仏教・道教キリスト教イスラム教のそれぞれの礼拝が互いに重なりあっているという描写とも重なる話だろう。)
だから生まれ変わった、というわけではないのだろうけれど、オーキッドとジェイソンの行く末は「ムクシン」でちょっと変わった形で描かれている。


「ムクシン」は「細い目」の7年前という設定で、メインのストーリーは少女時代のオーキッドとその初恋の相手であるムクシンの2人が主役だ。10歳のオーキッドを演じるのは「細い目」や「グブラ」でオーキッド役を演じたシャリファ・アマニの実の妹だが、それと別に、シャリファ・アマニ自身も別の役で「ムクシン」に登場している。

オーキッドがムクシンと凧揚げをしているのを見て、近くに住んでいる若夫婦が「教えてあげよう」と登場する。なんとこれが「細い目」のジェイソンとオーキッドの2人だ。妻の名前はわからないけれど、夫はジェイソンと呼ばれている。別れ際に少女オーキッドたちに対して「交通事故に気をつけなさい」と言っているのは、それから7年後に起こることを伝えようとしているというより、自分たちの境遇を語っているのだろう。
まるで海のように広がる一面緑の草原の中の1軒家に住んでいることから、それが現実の世界なのか別の世界なのかははっきりとわからないけれど、仏教徒であるジェイソンは生まれ変わりをするわけだし、オーキッドはそれを信じることにしたのだから、別の世界に生まれ変わったジェイソンにオーキッドの魂が添い遂げていると考えてもまあいいだろう。オーキッド(かどうかわからないけれど妻)はジェイソンにまず広東語で話しかけ、ジェイソンはまるでマレー人のようなマレー語を話すという演出もなんとも心憎い。

これでジェイソンとオーキッドの恋の物語は一応のハッピーエンドとして完結したことになる。「細い目」以来、ジェイソンとオーキッドの恋の行方が気になった観客の1人として、ひとまずはほっと胸をなでおろしたところだ。


タイトルにもなっているMukhsin少年の名前の日本語表記は「マクシン」や「ムクシン」などいくつかあるようだが、発音に近く書くとたぶん「ムッシン」とか「ムフシン」とかになる。でもそれだと日本語の音として発音にしくいので「ムクシン」としたのだろう。「モーシン」とも聞こえるけれど、ここではムクシンとしておく。
(この記事は「malam−マレーシア映画」の2007年7月2日付けの記事からこの場に引っ越したものです。)