「最後のマレー人女性」――「マレー人性なら東海岸」の積極的な否定

マレーシア映画「最後のマレー人女性」(Perempuan Melayu Terakhir)は、西洋風の生活様式を身につけたマレー人男性と、イスラム教条主義によってマレー人の慣習さえ否定しようとするマレー人男性とを対比して描くことを通じて、マレー人とは何かという問いへの回答を試みる。マレー人性を探し求めてトレンガヌに行くあたりはよくある東海岸の伝統漁村賛美かとも思わせるが、この物語はそれほど単純なつくりではない。
あらすじは次の通り。

イカルはロンドン帰りのマレー人劇作家。舞台仲間からジョンと呼ばれるハイカルは西洋風の生活習慣を身につけており、カーラジオで礼拝の時間を知らせるコーランの詠唱が流れてくるとラジオを止めようとしたり、人前で堂々とビールを飲んだりと、イスラム性は薄い。あるとき、自分の作品にはマレー性が欠けているとの思いにとらわれ、マレー・ドラマを作ろうと思い立つ。しかし、舞台仲間のズーに、毎日西洋風の食事をして、西洋風の考え方を身につけて、それでどうやってマレー・ドラマが作れるのか、マレー・ドラマを作りたければマレー人の心を取り戻さなきゃ、と笑われる。
ズーの勧めもあり、ハイカルは東海岸のトレンガヌを訪れる。そこでリラックスしながらマレー性について考えるはずだったが、まわりのマレー人たちを見ると、露出の多い水着を着て海に入ったり、公衆の面前で男女で体を触れ合ったりと、リラックスの仕方も西洋風だ。そんななか、これぞマレー人女性中のマレー人女性と思えるムスティカに出会う。ムスティカはこの宿泊施設のマネージメントを担当していた。大学で経営を学んだが、クアラルンプールで働けという両親の助言を聞かずにトレンガヌで働いている。
ムスティカには婚約者のウンク・レーがいた。ウンク・レーは海外留学から戻るとすっかりイスラム教条主義者になっており、支持者を集めてコミューンを作っていた。ウンク・レーは、ムスティカがマレー人の舞踊を教えていることに対し、マレー人の伝統文化はイスラム教に反すると批判的だ。また、教条主義をやめるように諭す自分の父親に対しても対決姿勢を明らかにする。
マレー・ドラマ*1の解釈論を戦わせたりする中でハイカルとムスティカはしだいに惹かれあっていく。ムスティカは、イスラム性を嫌ってマレー人性を探し求めるハイカルと、イスラム性の前にマレー人性も否定しようとするウンク・レーの2人の男性の間で迷い、そして・・・。

物語はラーマヤーナを下敷きにしており、おそらくそのためメインストーリーとの関連が薄いエピソードがいくつか挟まれていてやや複雑な展開になっている。ハイカルがムスティカを故郷のクダに連れて行くのはラーヴァナによるシータの誘拐だろうし、その後でウンク・レーのコミューンが燃えるのはシータ救出の際の放火だろう。となれば最後にシータがラーマのもとに戻るのも予想された結末となるだろうか。

ウンク・レー率いるイスラム教条主義のコミューンがあまり現実的な描かれ方をしていなかったのがやや気になった。自活している様子でもなく、彼らがしていることと言えば礼拝か武術の訓練ばかりだ。これは、この映画が「マレー性対イスラム性」という形をとりながらも、おそらくはじめから「マレー性」という答えが用意されており、そのため「イスラム性」にはあまり力を入れなかったということではないか。

イカルは西洋性を備えながらマレー人性を探し求めた。もしマレー人性と西洋性を対立するものと考えるならば、マレー人性を取り戻すには西洋性をなくさなければならない。そうなれば西洋性と対立的に捉えられているイスラム性が強調されることになる。さらに、イスラム性の強調が教条的になされたりアラブ性の強調につながったりすると、ウンク・レーがしたようにマレー人の慣習を非イスラム的と言って排除することにつながる。こうして、マレー人性を求めて西洋性を否定すればイスラム性の強調につながり、それが度を超すと結局はマレー人性の否定になるという矛盾を抱えてしまうことになる。
それでは、マレー人性を探し求める旅は不毛なのか。この問いに対する答えは、おそらく「最後のマレー人女性」とは何かという問いと重なっている。

「最後のマレー人女性」とは何か。映画の中での説明を組みあわせて考えると次のようになるだろう。ものごとが移り行く現代世界で男性は変化に乗ったり流されたりして変わっていくが、それに対して女性は子を産み、育て、守る存在であり、伝統的な文化を守り伝えていくのは女性である。女性にも時代の流れに乗ったり流されたりして変化する人もいるが*2、時代の変化に流されずに伝統的価値観を守り伝える役割を担う女性もいる。そのようにしてマレー人性を守り伝えていく役割を担った女性が「最後のマレー人女性」だということになる。

以下、引用部分は結末に関する記述あり。
「最後のマレー人女性」という訳はぎこちないが、それは許してもらうことにしよう。タイトルの「女性」は原語で「perempuan」だけれど、物語のなかでは何度か「gadis」に置き換えられている。となると、単に性別としての男女ではなく、未婚女性という意味が含まれる。ラスト近くでムスティカの婚礼の後にシーツが血に染まったのは、ムスティカがもはや「gadis」でなくなったことを示している。
では、それによって「マレー人女性」はいなくなってしまったのか? いや、その後にハイカルの娘のソフィーが出てくるので、ソフィーこそ「マレー人女性」性を受け継いだと考えるべきだろう。では、それはどんな「マレー人女性」性なのか。
マレーシアでは、「マレー人性」といえばしばしばトレンガヌなどの東海岸が挙げられる。これに対し、西洋人を母親に持つソフィーを「マレー人女性」とすることで、トレンガヌのマレー人もマレー人だが、英語教育を受け、西洋風の生活習慣を身につけてクアラルンプールで暮らしているマレー人もマレー人であることに違いはないと言っているのが「最後のマレー人女性」のメッセージではないか。

言い換えれば、マレー人性を求める際に、マレー人性と西洋性を対立するものと捉え、西洋性をなくすことでマレー性を取り戻そうとしたハイカルの最初の発想が筋違いだったということだ。マレー人は多かれ少なかれ西洋性を身につけている。それを取り除くことでマレー性を取り戻そうとするのではなく、西洋性を一部に組み込んだ上でマレー人性をどう発展させていくかこそが重要だということになる。(それは西洋性だけに限られないのだけれど。)
ところで、半分西洋人のソフィーがマレー人女性であることを観客に納得させるため、この物語は最後にソフィーがイスラム教のしつけを受けていることを示している。この映画の「マレー人性」の考え方を突き詰めれば、イスラム性もマレー人性の一要素にすぎず、イスラム教徒でなくてもマレー人でありうるという考え方も出てくるはずだが、今のマレーシアでそこまで主張することは社会的に受け入れられないということなのだろう。マレー人性とは何か、そしてそのなかで西洋性やイスラム性はどう位置づけられるのかという問題は残されたままとなった。
(この記事は「malam−マレーシア映画」の2007年9月9日付けの記事からこの場に引っ越したものです。)

*1:ウスマン・アワンが1970年代に書いた『ウダとダラ』。マレーシア初のマレー語舞台で、マレーシアではその後も繰り返し上演され、よく知られているものの1つ。

*2:ズーは水着を着て海に入ったりタバコを吸ったりするが、「ここトレンガヌではあれもだめこれもだめと言われて耐えられない」と言っていることから、それらの行動が保守的とされるトレンガヌのマレー人社会から好ましく受け止められないことがうかがえる。