「後ろを見てはいけない」――イスラム化しても怖いものは怖い

マレーシア映画「後ろを見てはいけない」(Jangan Pandang Belakang)がマレーシア映画の興行成績の歴代1位になったという。ホラー映画はあまり好みの分野ではないけれど、そういうことなら避けて通るわけには行かないだろう。ということでさっそく観てみた。
まずはあらすじ。

ある田舎での除霊のシーン。悪霊に憑依された男。イスラム教の導師がコーランの章句を唱えながらその男から悪霊を追い払い、小瓶に封じ込める。導師はそれを海に棄てるよう命じる。
場面かわって現在の都会。ダルマは婚約者ローズが自殺したとの知らせを受ける。ダルマはローズの双子の妹スリの協力を得てローズの自殺の原因を調べはじめる。海で拾った小瓶のために悪霊に悩まされていたことがわかってくるが、この過程でダルマがその悪霊にとりつかれてしまい・・・・・・。

死体が出てきて気持ち悪いシーンが1箇所だけあるが、あとは正体不明の悪霊がうろうろしているだけで、ぞっとするシーンはほとんどなかった。これが歴代一位のホラー映画なのかと拍子抜けの感があるが、マレー人にとってはリアリティに溢れる怖い映画だったらしい。
その理由は大きく2つありそうだ。
まず、これまでのマレーシアのホラー映画とはつくりが違っていること。これまでのホラー映画の多くは「夢落ち」だったので観おわった後での恐怖感が半減したと言われている。そんななかで「Pontianak Harum Sundal Malam」(2004年)が夢落ちでないホラーを提示して、これが当たるとその後は夢落ちでないホラーがどんどん作られるようになった。「後ろを見てはいけない」はその系譜に属する。また、「後ろを見てはいけない」は日本を含むアジアのホラー映画からいろいろなアイデアを取り込み、従来のマレーシアのホラー映画の枠を超えた作品になっている。
・・・という説明が可能だが、それは映画つくりの技術の話。「後ろを見てはいけない」は、それだけでなく、物語そのものにマレー人の心を揺さぶるものがあったらしい。それは、「後ろを見てはいけない」の物語がマレー人の民間伝承に基づいていることだ。悪霊に動きがないので人形のように見えるなどといった批判もあるが、それでもなおこの作品がこれほどまでの観客を動員できたことから考えると、そういう批判があること自体がこの作品の物語にリアリティがあると受け止められたことを証明しているようなものだと言えるだろう。
マレー人には「サカ」という伝承がある。サカは守護霊のようなもので、修行で術を身につけた人が自分の身に宿らせることができる。サカは子孫に受け継ぐことができ、宿主が生きている間に子や孫へと受け継がせることができる。ただし、サカが宿っているうちに宿主が死ぬと、行き場を失ったサカが悪霊になって悪さをするようになる。これを取り除くには、術を身につけた人がサカを何かに封じ込め、それを海に棄てるしかない。
「後ろを見てはいけない」の冒頭で小瓶に封じ込められて海に棄てられたのは悪霊になったサカで、それを拾ってきたためにローズやダルマがサカに悩まされるというストーリーは、サカの伝承をそのまま物語にしたものだ。冒頭の悪霊にとりつかれた男が誰だったのかとか、悪霊の正体は何で、どこからどこに行ったのかなどは映画の中で説明されないので、マレー人以外の観客には筋が追いにくいと思うかもしれない。しかし、サカを信じるマレー人にとってみれば、そんな説明は抜きで十分にリアリティに溢れる物語と映ったということだ。逆に見れば、「後ろを見てはいけない」が多くのマレー人に受け入れられたということは、マレー人の多くがサカを信じていることの表れでもある。
サカはイスラムの教えには出てこない。そのため、中東のイスラム教を本場のイスラム教と考える人たちからすれば、サカはイスラム化以前のマレー人が持っていた慣習で、迷信ということになる。マレー人は自他ともに認める敬虔なムスリムだが、そんなマレー人が同時にサカも信じて怖がっているところがとても興味深い。


「後ろを見てはいけない」では、イスラム教の導師が、コーランの章句を唱えるとともに、イスラム教とは本来関係ないはずのマレー人のクリス(短剣)などを用いて悪霊を封じ込めている。ここにはイスラム教の要素とイスラム教でない要素が混在しているが、マレー人の多くはそれを特に矛盾していると見ないはずだ。自分たちはムスリムであり、自分たちのあり方こそが正しいムスリムのあり方だと信じているからだ。言い換えれば、自分たちとは別のところに「本来あるべきムスリムの姿」を設定してそれに自分たちをあわせようとしているのではなく、現実の自分の実際のあり方が「本来あるべきムスリムの姿」だと確信しているということだ。
近年、マレーシアでは社会におけるイスラム教の要素が目に見える形で大きくなってきている。トゥドンと呼ばれるスカーフを被っている女性は多いし、クアラルンプールはアラビア語の看板が増えた。国政レベルでも、野党はイスラム国家の樹立を唱え、与党はイスラム的な要素を基礎にした発展を唱えており、そのいずれの道を選ぶにしろ、社会におけるイスラム教の影響力が大きくなる方向で進んでいることには違いがない。このような動きをひっくるめて「イスラム化」と呼ぶことにすると、「後ろを見てはいけない」のような映画がはやっている限り、マレー人のあいだで「イスラム化」が進んでいるように見えたとしても*1、それによって大多数のマレー人が中東のムスリムのようになることはなく、マレー人なりのムスリムのあり方を模索していくことだろう。
(この記事は「malam−マレーシア映画」の2007年8月13日付けの記事からこの場に引っ越したものです。)

*1:イスラム化してもサカのような伝承がしぶとく生きのびていると考えるべきなのか、それとも都市化やイスラム化が急激に進められているためにサカのような伝承がかえって人々の意識に上るようになってきているのか、その答えを出すにはもう少し調べが必要だろう。