サバ映画「オラン・キタ」

この数年、マレーシアやインドネシアでは民族別・地域別の映画が作られるようになってきている。サバでは2002年からビデオCDの形で売られる地元映画が大流行している。そのきっかけとなったのが2002年制作の「オラン・キタ」。
「オラン・キタ」は、「陸の民」(カダザンドゥスン系)であるアンパルと「海の民」(インドネシア系)であるオムの州都コタキナバルでの珍道中だ。
アンパルは内陸部の奥地に住む。川で魚をとって近くの市場で売って暮らしている。近くの市場までは行ったことがあるが、近代文明とほとんど無縁の状態で暮らしている。
オムは、人に雇われて車で野菜を運んで売る仕事をしている。オムはインドネシア系(ティモール系)だが、サバに長く滞在しており、マレーシア国民になっている。
アンパルの村のそばまで野菜を売りに来たオムと出会ったアンパルは、オムに頼んで車でコタキナバルに連れて行ってもらう。近代文明に初めて触れたアンパルは、自動販売機に話しかけたりラジコンカーに驚いたり食堂で食器の使い方がわからなかったり自動ドアを通れなかったりするなどの騒動を起こす。


物語としてはそれだけなのだけれど、この映画の一番の見どころは「陸の民」と「海の民」の関係の描かれ方だ。サバでは、いろいろな見方があるけれど、「陸の民」はサバの先住民で、「海の民」は近隣諸国からの移民系とする見方がある。アンパルがオムに「もうマレーシアの国籍は取ったのか」と尋ねているのも同じ発想からのものだ。
ところが、この映画では、その考えに従えば「主人」であるはずの「陸の民」が「客分」であるはずの「海の民」に町の歩き方を教えてもらっている。アンパルが車の往来が激しい道路をオムにくっついてこわごわ渡ったり、エスカレーターが怖くてオムに手を引いてもらったりするのはまあいいとして、道端で用を足そうとしたアンパルがオムに叱られて公衆トイレに連れて行かれたり、キナバル山を知らないアンパルがオムに「サバ人だったらキナバル山のことぐらいちゃんと知っておかなくちゃダメだろ」と窘められたりしているのは、「陸の民」が主人で「海の民」が客分だとする考え方とまるっきり逆になっている。だからこそおもしろいのだけれど、でもそこまでやって大丈夫かという問題もある。これはおそらくサバだから許される話で、もし半島部マレーシアで、華人かインド人がマレー人に「マレーシア人だったらツインタワーぐらいちゃんと知っておかなくちゃダメだろ」なんていう映画を作ったら大問題になる。それなのに、サバではそんな映画を作って、しかもタイトルに「オラン・キタ」(私たち)とつけて「それが私たちなんだ」と主題歌を歌い、さらにそれがサバで大人気になっているところが、民族や宗教が社会生活で重要な意味を持っていないサバらしい話だ。


あまりに好評だったので続編の「オラン・キタ2」も作られた。「オラン・キタ2」では、アンパルとオムがバスで東海岸に行き、オムが人間違いで逮捕される。身分証明証偽造の犯人と間違えられて逮捕されたのだけれど、実はこの犯人とオムは一人二役。ということは、オムのような外貌の人物が身分証明証偽造などの犯罪に関わっていても不思議ではないということでもあり、それにもかかわらずアンパルがオムのことを信じて待ち続けたという「陸の民」と「海の民」の信頼の物語でもある。
身分証明証偽造と警察による取り締まりがともに描かれていることで、マレーシアの周縁部であるサバで国家制度を守る営みと溶かす営みが混ざり合っていることがわかる仕掛けになっている。