ヤスミン監督

ヤスミン監督の話をもう少し。
クアラルンプールで映画つながりの友人と再会。SS24でカニを食べながらヤスミン作品などについて議論。
マレーシアではヤスミン監督を惜しむ声がよく聞かれるけれど、どれもCMの監督としてであって、長編映画はちゃんと観た人はほとんどいない、みんな実際に観たことがないのにダメだとかいいとか言っている、とのこと。「みんな」というのは大げさだろうが、マレーシアの多くの人にとってヤスミン監督は映画ではなくCMで知られているというのはその通りかもしれない。
せっかくなのでヤスミン監督のお墓参りに行こうということになったが、少し迷った。ネット上ではヤスミン監督のお墓の場所としてSS22とUSJ21の2つの情報が混じっている。実際にはどちらでもなくUSJ22だった。大通りから目印のペトロナスのガソリンスタンドで左折してすぐ。ヤスミン監督がCMを作ったペトロナスが目印というのもちょっとしたご縁か。亡くなってから100日経っていないので石のお墓ではなく木枠の仮のお墓が作られていて、お参りの人たちが花を供えている。
星洲日報の8月3日付け副刊にヤスミン監督の死去を惜しむ記事を見つける。マレー語紙や英語紙だけでなく華語紙にも載るとは、やはりヤスミン監督が国民的な監督だったと再確認。
ついでにヤスミン監督の最近の話題について。「Kosmo!」というマレー語のタブロイド紙にヤスミン監督が実は男だったという記事が掲載されたらしい。男だったときの名前や写真まで載ったそうで、よくもそんな根拠がない話をと関係者が激怒し、新聞社が遺族に謝ったとか謝らないとかいう話になっている。
その話の根拠は報じた人がきちんと示すべきだろうが、この悪意の込められたしょうもない話が事実であるかないかという議論のゆくえには私はそれほど関心がない。ヤスミン作品は映画で描かれていることやヤスミン監督が発した言葉から自分なりに深読みして楽しめば満足だ。それよりも、ひとごとのような言い方で悪いが、ヤスミン監督のことを「実は男だった」と語りたい人たちがいることの方が興味深い。「あんな態度をとるのは女じゃない」という言い方をすればヤスミン監督を貶めたことになると考えている人がいるということだが、でも、男と女を含むさまざまな関係に見られる権力性をひっくり返してまわったヤスミン監督がそれを聞いたとして、自分が貶められたと感じるかどうかはちょっと疑問だ。「グブラ」で華人男性は不潔だとアヌアールに言われたヤムが「かまわないじゃないの、私は好きよ」とすまして言ったのと同じ台詞を返したんじゃないかなどと想像してみたりする。