「ムアラフ」公開初日

12月24日。マレーシアでの公開初日の「ムアラフ」に間に合った。
東京国際映画祭で聞いていた通り、修正されていたのは2か所。アントニーとブライアンがロハニとロハナの家で礼拝用の服装を見て「尼僧のようだ」と言った場面が切られていたのと、ロハニとロハナがブライアンと朝食のロティ・チャナイを食べている場面でイスラム原理主義という意味で「ワッハーブ派」と言った場面で音が消されたところ。
マレーシアで「ムアラフ」がこれまで公開されなかったことについて、改宗を扱った内容のために当局の検閲と闘っていたためだという話がまわっているそうだけれど、そういう説明のしかたをすると半分くらいミスリーディングだろうと思う。「ムアラフ」が「改宗」あるいは「改宗者」という意味なので、イスラム教から他の宗教への改宗が事実上認められていないマレーシアでそんな映画を作るのは難しいだろうという先入観があるからだろうか。でも、イスラム教から別の宗教に信仰をかえることは、イスラム教の立場としては「改宗」ではなく「棄教」になる。「ムアラフ」というのはイスラム教徒になること、あるいはイスラム教徒になって日が浅い人のこと。だから、その点でこの映画はマレーシア政府やマレー人保守派の立場に反するわけではない。
そういえば、ヤスミンの盟友ホー・ユーハンも、映画の検閲についてこんなことを言っていた。映画はどこの国で上映するときでもその国の観客に好ましいように修正されるもの、シンガポールで上映したときにも修正が求められたし、東京国際映画祭で上映するときに日本語字幕がつけられることも日本向けの修正だと言うこともできる、だから検閲について過度に大きく取り上げるべきではないと思う、と。
アミル・ムハンマドの「Yasmin Ahmad's Films」はより直接的に、「ムアラフ」がマレーシアで長く上映されなかったのは内容が問題だったからではなく、上映しても客が入らないと制作者側が思ったためだと書いている。
実際、公開初日で、しかもクリスマスイブだというのに(イブだからか?)、「ムアラフ」には客が全然入っていなかった。
マレーシアで観て改めて思ったのは、コーランや聖書からの引用が多いこと。日本の映画祭で日本語字幕で観たときにはその意味に気づかなかったけれど、マレーシアで上映するときには英語とマレー語の字幕が付く。だから、マレー人ムスリムは普段だったらまず読まない聖書の内容を聞く(しかもマレー語に訳されたものを読む)ことになるし、キリスト教徒はコーランの内容を聞くことになる。これはヤスミンがマレーシアに仕掛けた大がかりな仕掛けではないだろうか。マレーシアの観客たちはどう反応するのか、明日からそちら方面も気にかけておくことにしよう。