フィリピン映画「海の道」

西スマトラ地震とジャワのムラピ山。ムラピ山では「番人」として地元の人びとから信頼を受けていた長老が亡くなったとか。


昼間は地震と火山の情報収集、夜はマレーシア映画という日が続いた。
一昨日観た「海の道」はマレーシア映画ではなくフィリピン映画だけれど、フィリピンからサバに密航しようとする人たちの物語。
「サバに密航しようとするフィリピン人の物語」と聞くと、印象だけで「フィリピン人はかわいそう、マレーシアはひどい」という話かなと思っていたけれど、その疑いはよい意味で完全に裏切られた。
サバにはフィリピン人の不法入国者が多くて問題になっているけれど、「海の道」はマレーシア側の話はまったく描いていない。最初と最後につけたしのように国境管理の様子が出てきただけ。最初から最後までフィリピン側の事情が描かれている。貧困と差別。そして、同国人を食い物にする同国人たち。
この映画、サバ州政府もサバの人びとも、もし実際に観てみれば、絶対にこの映画を歓迎するはずだ。サバに行く機会があればサバの人びとに伝えたい。
上映後のQ&Aでは、女優さんのファンの方が多かったのがちょっと意外だったけれど、サバでフィリピン人問題に取り組んでいるという元気のよい日本の学生もいたりして、いろいろな立場の人が一緒に観て考える場を与えてくれる作品になっていた。
私が気に入った場面は、ボートの中で少女が踊るところ。少女が口紅をおいしいと思うほどお腹がすいていて、でも一文なしで何も買えないことはみんなよくわかっていて、それでもみんな少女に恵んであげる余裕も筋合もなくて、でも同じ船に乗り合わせたので何かしてあげようと思って、それで少女に踊りを踊らせた。困っていてもただでお金を恵んであげたりはしない。でも踊りの見物料としてなら払う。というか、余計な金を払うのはいやなんだけれど、でもそうやって自分を納得させて少女を支えてあげる。出発前の船着き場で、コインを海に投げ入れて子どもたちに潜って取らせる悪趣味な暇つぶしをしている場面があったのと対照的。陸にいると自他の違いがはっきり見えるようにふるまい、船に乗って海に出ると互いに支え合ったりしている。


でも、こんなにわかりやすい映画でも、最初と最後の場面の印象だけで、「サバのフィリピン人問題」はマレーシア側に問題があると考えちゃう人もいたりするんだろうなと思う。
以下はこの映画とは直接関係ないけれど、参考としてサバ側の事情を大ざっぱに整理しておこう。
サバの人々は外国人に対して、好きだろうが嫌いだろうが来てしまうものは来てしまうのだという現実を受け入れて、外国人でも社会の一員として位置づけ、受け入れている。外国人と結婚する人も多いし、外国人と結婚したという話を聞いても特に驚いたりしない。家系図を書くと外国人もどんどん入ってくる。というより、先祖をたどっていくと外国人になることを誇ったりもする。
このように外国人に対してかなり寛容度は高いけれど、でも違法でサバに来た人は受け入れないという原則は人々の間で強く意識されている。だから、インドネシア人でもフィリピン人でも、パスポートを取って正規のルートで入国したら、それなりの居場所はちゃんと与えられる。もちろん成功するかしないかは本人の努力しだいだけれど。でも、正規の手続きなしにサバに入って来た人は、どんな事情があろうともいったん外に出てから入り直してきてもらう。これがサバの人びとの外国人への臨み方だ。
本国ではパスポートを取るのが難しい? 本国からサバへの渡航費を稼ぐのが難しい? そういう問題はあるかもしれないけれど、その問題にまず責任を負うべきなのは誰なのだろうか。