シンガポール映画祭

シンガポール映画祭がとてもよかった。観た作品を思い出しては、それぞれのつながりなどを考えて楽しんでいる。最終日しか行けずに、いくつも興味深い作品が観られなかったのがとても残念だけれど、でも2日経ってもまだ映画祭の余韻が残っている。
観たのはシンガポールの近作短編傑作選と「インヴィジブル・シティ」と「Sandcastle」。インヴィジブル・シティは2回目だけれど、Sandcastleの背景がわかるのでもう一度観た。Sandcastleは初見で、感想は一昨日書いた通り。
近作短編傑作選もとても興味深かった。冒頭に海や波が出てきたり、そうでなくても水や流れが重要な役割を持つ作品が多かったのは、シンガポールではそういう作品が多いのか、それとも選んだ人の好みか、それとも時代性などのためか。Sandcastleも海や波がとても重要な役割を果たしている作品なので、余計にそう思った。
作品も興味深かったけれど、その後のQ&Aで、シンガポール映画祭の位置づけがわかった気がした。
はなしは大きくそれるが、この「ジャカルタ深読み日記」をはじめたのはジャカルタに3か月駐在することになった2008年のことだった。ジャカルタ市内の書店巡りをして見つけた本やDVDを重複して買わないようにネット上にメモしておこうと思って始めたのだけれど、本屋に行ってみると雑誌がいろいろあって面白かったので、見つけた雑誌をメモするために使うことになった。
それ以来、ジャカルタ生活を離れても、インドネシアに行ったりマレーシアやシンガポールに行ったりすると町でどんな雑誌が売られているかを気にかけてきた。ところが、インドネシアでもマレーシアでもシンガポールでも、この1、2年前からそれまで読んでいた雑誌の多くが発行されなくなり、そのかわりになるような別の雑誌もなかなか出てこないため、本屋に行くたびに雑誌が少なくなったなと思うようになっていた。もちろん、探すタイミングを含めた探し方の問題もあるのだろう。でも、全体的に、雑誌という形での情報発信が減ってきているという傾向はあるように思う。
では、情報発信したい人たちはどんな媒体で発信しているのか。まず考えられるのはテレビだけれど、これはときどき訪問する程度では追いかけられない。映画かなとも思ったけれど、インドネシアでもシンガポールでも国際映画祭に出てくるような作品には面白いのが増えていても、現地の劇場でかかっている地元映画はそれほどバリエーションが増えているわけでも数が増えているわけでもないようだ。じゃあみんないったいどこで「物語」を手に入れているのか。いろいろ聞いてみると、どうやらゲームらしい。ゲームの世界でつながって「物語」を手に入れたり作ったりているような様子がうかがえて、それはそれでとても興味深いのだけれど、そこに足を踏み入れて体験してみるには至っていないので、そこから先はわからない世界になっている。

そんなことを考えながらシンガポール国際映画祭に行ってみたら、シンガポールではもとも映画畑出身でない若手がすぐれた短編映画を作って才能を開かせるんだけれど、そのまま映画製作を続けるとは限らず、美術や舞台や別のアートに分野に進む人も多いらしい。Q&Aの司会の方は、短編映画の才能がある若手が映画製作は難しいからといって別のアートの道に進むのは残念だと思ったのか、才能ある若手が映画製作を続けていけるようにするにはまわり方どんなサポートが必要なのかとシンガポールからのゲストに尋ねていた。ゲストはおそらく質問者の期待をくみ取って「映画製作の資金援助を」というような答えをしていたけれど、でも、質問自体の意味を取りかねて戸惑っている様子があったように見えた。
シンガポールの若い芸術家たちにとって、短編映画製作は自分のキャリア形成の道の1つでしかないのではないか。だから、短編映画で名前が売れたら、そのまま映画を作るとは限らず、もともと自分がやりたかった分野に進むということも当然あるのだと思う。では、短編映画を紹介しているシンガポール映画祭は無駄な努力をしているのかというとまったくそうではなく、むしろ逆で、才能ある若いアーティストたちが才能を開花させるためのきっかけとなる場を与えているのであって、シンガポールの芸術の才能の発掘と振興にとても重要な役割を担っているのだと思う。だから、短編の傑作選を選ぶ努力を続けてほしいと思うとともに、すぐれた短編を撮った若手が映画製作以外の道に進んだとしても等しく祝福してあげてほしいと思った。
そう考えると、世界や時代に合わせたアイデンティティ探しをし続けるのが自分たちシンガポール人だというSandcastleのメッセージとぴったり重なって、その意味でも今回のシンガポール映画祭は本当によく選ばれた作品がよく組み合わさってよくできた映画祭だったのだなと思う。