映画「危険な年」

昨日の夜中から明け方にかけて雷と大雨だったのでどうなることかと思っていたが、ジャカルタ南部の我が家の周辺は特に洪水など大きな問題は発生していない様子。

空港から市内まで夕方タクシーで来た人の話を聞いた。高速道路は冠水して通れないので一般道を走ってきたそうだ。街は部分的に冠水していて、水を避けてくねくねと抜け道を通って南下してきたらしい。ジャカルタの南部まで1時間ちょっとなので、時間はふだんの渋滞気味のときとあまり違わないけれど、タクシー代はなんと片道80万ルピアもかかったとか。


今朝(2月3日)のJakarta Postで、ピーター・ウィアー監督「危険な年」(The Year of Living Dangerously、1983年、オーストラリア)という映画が紹介されていた。私は観ていないので記事などから紹介。

「危険な年」の内容紹介はこちら。
http://www4.ocv.ne.jp/~take/movie/zmovie/yearoflivingdangerously.html
http://www17.ocn.ne.jp/~kangaroo/The_Year_of_Living_Dangerously-diary.html
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内容を強引にまとめると、1965年6月、スカルノ政権末期の(あるいは、デヴィ夫人インドネシアの大統領夫人だったころの)ジャカルタにオーストラリアの新聞記者ガイ・ハミルトンメル・ギブソン)が赴任して、イギリス大使館勤務の事務員ジル(シガニー・ウィーバー)と恋に落ちながらも、オーストラリア人と中国人の混血であるフリーカメラマンのビリー・クワン(リンダ・ハント)の協力を得て取材を続け、成果を挙げながらもあれこれ事件に巻き込まれ、最後は9月30日事件の混乱の中で出国する、という話らしい。


インドネシアでは1999年まで上映禁止になっていたけれど、2000年のジャカルタ国際映画祭で上映され、2004年9月にはテレビでも放映されたとのこと。

なぜ今ごろこの映画が紹介されているかといえば、ラストシーン近くに共産党員であるとの疑いをかけられた民間人8人が国軍兵士たちに路上で処刑されているシーンがあるらしく、それを伝えたかったからなんだろう。
改革の名のもとに政治的にも経済的に統制が失われて混乱が続く現在、スハルト元大統領はインドネシアに開発と成長をもたらしたとスハルト体制を懐かしむ人たちも少なくないようだけれど、そのスハルト体制の起源は大量虐殺だったという批判もあって、映画紹介という形で人々に思い出させている。


映画に関しては、ビリーがオーストラリア人と中国人の混血者という設定らしい。この混血性は、西洋と東洋の混血でもあるし、自由主義陣営と共産主義陣営の混血でもあるということで、映画の中でどのように描かれているかとても興味深い。しかも、ビリー役は女優が男性の役を演じているそうで、男女の逆転も織り込まれているのならなおさら気になる。ジャカルタの町なかでも手に入るといいけれど。


おまけにもう1つ気になったのは、ビリーが「ジャワを理解するにはワヤンを理解することだ」と言っていることがこの映画のポイントらしいところ。
ある意味では同意。ワヤンのことはよく知らないけれど、ある土地の人々のことを知るにはその土地に根ざした文化なり歴史なりを理解して、その上で内在的な視点を手に入れて理解することが大切だ。
そのことを十分に強調した上で、でも、その理屈にはまり込んでしまうと「ネイティブ性の罠」に絡めとられてしまうことになりかねないだろうとも思う。
「ネイティブ性の罠」というのは、ネイティブ(あるいは当事者)がすべてを知っていて、最終的な解釈権を持つという考え方のために何も言えなくなってしまうこと(という意味の私の造語)。よそ者がどんなに深く理解しても、ネイティブに「違う」と言われてしまえば(その人物がネイティブであるという理由ゆえに)誤りとされてしまう。だから、対象を深く理解しようとすればするほど、どこまで上っても頂上にたどり着かないらせん階段を上っていくようなものとなる。しかも、頂上にたどり着かないのは頂上が高いからではなくて、自分が上れば上るほど、らせん階段の管理人であるネイティブたちをさらに押し上げることになるからだ。
これは努力が続く苦しい道だけれど、後ろを振り返れば自分の努力の跡が見えるわけで、それを無にしたくはないという気持ちになることはよくわかる。だから、あとから上ってくる人たちに対して、自分が頂上に「より」近いことをアピールしたくもなる。そうすることが頂上の権威をさらに高めることになるのだけれど、でも頂上の存在の代弁者になって後続の人たちに解説するのは気分がいい。らせん階段を上っている限りは自分より下にいる人たちに対して何を語っても正しいはずだから。
らせん階段の頂上にいる存在に出会うことがあったとしても、ネイティブ性の壁を乗り越えることができない以上は、「違う」と言われるか「だいぶわかってきたな」と褒められるかのどちらか。褒めてもらうためには外に向けてしっかり代弁しなければならない。こうして頂上にいる存在の代弁者になっていく。
当事者にしかなしえない解釈は当然あるだろうし、それを尊重するべきだとは思うけれど、部外者だからなしうる解釈というのもあって、それはそれで意味を持っているはず。当事者が違うと言ったからといって、そのために自分の解釈が無意味だと思う必要はない。なのに、研究者にも、自分の研究対象に他人が直接アクセスするのを嫌ったり、他人が自分勝手に解釈してコメントするのを嫌ったりする人たちがいる。代弁する相手は政党・政治家だったり神さまだったりいろいろ。こういう人たちは頂上の存在の眼差しばかり気にしているので議論が難しいという印象がある。
ジャワの人たちは、そういう理屈を自覚してかしないでか、「ワヤンがわからなければジャワはわからない」という。それを受け入れなければジャワのことがわかった扱いをしてくれない。でもジャワのことがわかったとジャワ人に認めてもらいたければらせん階段を上らなければならない。恐ろしいところだ。(ジャワに限ったことではないのだろうけれど。)