陰暦正月ムード

中国服を着た受付嬢

このところ陰暦正月ムードが高まっている。2月7日の陰暦正月(春節)を前にして、テレビで獅子舞が何度も流れたり、新聞でも「陰暦正月だから買い物を」と言わんばかりの広告が増えたりしている。特にテレビはあたかも「華人文化はすでにインドネシアの国民文化の一部だ」と言わんばかりで、それを見続けていると「華人インドネシア国民の一員扱いされるようになった」と言いたくなりそうになるけれど、でも公の場でみんながバティックを着ているなかで中国服を着ていたらやっぱりまずいんだろうな。


そんなことを考えながら街に出ると、ショッピングモールの入り口に中国風のゲートが作られていたり(でも形はどこかジャワ風なんだけれど)、ジャカルタの北の方では通りに赤い提灯がぶら下がっていたり、さらには「香港城」という中華風のゲートが出現したりといろいろ興味深いことばかりだが、雑誌のチェックなどをかねてタマン・アングレックへ行ってみてさらにびっくり。まさかモールの従業員が中国服を着ているとは思わなかった。


どうして中国服に驚いているかというと、マレーシアでは考えられないだろうなと思うから。マレーシアはインドネシアと比べて華人(中華系住民)の権利を制度として認めている度合いが高いけれど、でもマレー人が公の場で中国服を着ることはまずない。(解任前のアヌアール副首相が何回か着ていたかも。)国民としての権利を認めることと民族の文化を受け入れることは別で、そのへんはとてもはっきりしている。
他方、インドネシアでは、これまで長いあいだ華人をプリブミに同化させようとして、華人風の名前を使ってはいけないとか、漢字の看板を掲げてはいけないとか、中国語の新聞雑誌を発行してはいけないとか、いろいろな方法で華人文化をなくそうとする政策をとってきた(このあたりは聞きかじりなので不正確な記述が混じってるかも)。なのに、体制が変わって華人文化が解禁になったとたん、中国服を着てしまうのはどういうことか、いくらなんでもやりすぎじゃないのかと不思議に思った。


何人かに尋ねてみたところ、華人相手の商売のためとか、タマン・アングレックだけの話だとか説明されたけれど、データが足りないので深読みしようにもどれも決め手に欠ける。おもしろそうだと思ったのは、言葉は民族の文化と密接な関係があるけれど服装は文化と密接に関係ないので取替え可能だという意見。


それはともかく、グラメディアにはスハルト関連本コーナーがあり、1965年10月から1978年3月までのスハルトの日誌3巻本(発行は2003年)などが並んでいた。
今日見つけたのは、
Meta Sekar Puji Astuti. Apakah Mereka Mata-Mata?: Orang-Orang Jepang di Indonesia (1868-1942). (Ombak, 2008)
Mary Pope Osborne & Natalie Pope Boyce. Tsunami & Bencana Alam Lainnya. (Nuansa, 2008)
China Town(第4号)
など。
『Apakah Mereka Mata-Mata?』は、第二次世界大戦が始まる前のインドネシア(オランダ領東インド)での日本人の活動を跡付けたもの。もとは1996年にガジャマダ大学に提出された卒業論文で、それを一部手直ししたもの。著者の前書きと概要は日本語でも書かれている。概要をまとめると、「かつては貧しさゆえに東南アジアに移民していた日本人は、明治時代の終わりごろまでに近代産業革命を実現させ、東南アジアに商業移民を送り出した。インドネシアへの日本人商業移民は日本製品とともに日本的な商慣習をインドネシアにもたらし、地元社会と良好な関係を築いた。しかし、その後の軍事占領の時代には日本人とインドネシア人の間に信頼関係も協力関係も築かれず、日本とインドネシアの関係は大きく変わってしまった」という感じ。序文は慶應大学倉沢愛子さん。
Tsunami & Bencana Alam Lainnya』は『Magic Tree House Reseach Guides: Tsunamis and Other Natural Disasters』(2007)のインドネシア語訳。小中学生程度を対象に、ジャックとアニーの2人が世界各地の自然災害について原因や被害の様子を紹介する。冒頭の津波地震の話は読みやすいしわかりやすいと思ったけれど、読み進めていくと雪崩などインドネシアと無関係であろう自然災害も載っているし、地震や地すべりの対策もインドネシアの実情にあった対策とは言いがたい。この本はインドネシアで災害にあったときのための本ではなく、インドネシア人が外国に行って災害にあったときにどう対応するかについての本と考えるべきだろう。
『China Town』の第4号は陰暦正月特集。ほかに「チナではなくティオンホアと呼んでくれ」の記事も。国籍に関する2006年の12号法律で華人(suku Tionghua)はインドネシアの国民(bangsa)の一員として認められたが、今でもなお差別待遇を受けることがある、その一例が呼称で、中国を意味するチナではなくインドネシア華人を意味するティオンホアと呼ぶべきとのこと。この記事では華人のことをsuku Tionghuaと呼んでいるが、sukuというのは何かの部分のことなので、そのまま理解するならインドネシア国民の一員ということになる。華人以外もこの言い方をしているのだろうか。
マレーシアでは春節のことをTahun Baru Cina(華人の新年)と言うので、インドネシアでもついついそのように言ってしまいそうになるけれど、インドネシアでは「チナ」と呼ばないでほしいということなので(そういえばそんな題名の映画もあった)、ここでは春節のことをインドネシアでの呼び方(Imlek)に倣って陰暦正月と呼ぶことにする。


さて、今週は7日の陰暦正月から10日の日曜日まで4連休になるので、ジャカルタから抜け出す予定。今日も夜中になってまた雨が降り出したけれど、空港が閉鎖されたりしませんように。