「鳥屋」――寝ても醒めても中国人

マレーシア映画「鳥屋」(The Bird House)は、画面の切り取り方がおもしろいし、しかもとても色鮮やかなので、古都マラッカの伝統的な家屋の様子を覗き見るためだけでもこの映画を観る価値は大いにある。ただし、ここではいつものように私の関心に沿って物語を中心に紹介したい。華人から見たマレーシア社会の1つの側面をとてもよく表わしている。
主な登場人物とあらすじから。

マレーシアの古都マラッカ。シンガポールに出て働いているキアッ(傑)が実家に帰ってみると、弟のホア(華)は、居間をインド人アルルに間貸しして自動車教習の学校を開かせて小金を稼いでいた。ホアはさらに妹のリン(玲)の部屋の壁をぶち抜いて間貸しした方が儲かると考えているが、骨董品を愛でるキアッは歴史的遺産としての重要性を訴えて反対する。キアッが兄としてホアに説教口調で話すこともあって2人の話はどこまでもかみ合わないが、意見の対立の背景には、ホアは家全体をツバメハウスに改築すること、そしてキアッは家を改築して骨董品店にすることを計画していることがあった。年とったお父さんは一方の意見に賛成することはなく、2人の間で成り行きを見守っている。

 
物語のはじめのうちは、キアッとホアの違いが強調される。
家の改築なら市政府の許可が必要のはずだとシンガポールにすっかり馴染んだ発言をするキアッに対し、家を改築するのに政府に届け出するバカがどこにいるんだと答えるホア。歴史的遺産の重要性を説くキアッに対し、古臭いガラクタなど捨ててしまえというホア。
ホアは家をツバメハウスにしたいという。ツバメの巣は、その昔、中国の皇帝が不老不死の食物を求めて世界中から食材を集めたものの1つだそうで、元末には食材として知られるようになり、清代になると高級食材として知られるようになったらしい。ここでのポイントは、ツバメの巣は中国人(華人)以外にはほとんど何の価値もないということだ。ツバメの巣は、(海外華人を含めて)中国をマーケットとするビジネスだと言える。その意味で、後に世のための雇用を創出した皇帝は偉大だったし、ツバメの巣の関係者はいわば中国数千年の歴史の遺産で食っているということでもある。
これに対し、キアッは家を骨董品店に改造することを考えている。中国の歴代王朝の骨董品などを売買するという点で、これもある意味では中国の歴代王朝の遺産で食うビジネスだ。
キアッもホアも、それぞれ家をどうするかということに関しては正反対の考え方をしており、しかもそれは「経済開発」対「歴史的遺産の保全」という対立と重なり合うようにも見える。でも、よく見るとどちらも中国数千年の歴史の積み重ねの助けを借りて一儲けしようとしている点では奇妙に一致している。
キアッの骨董品店はまだ計画段階だが、それと別に、実際のビジネスとしてキアッは中国への進出を強く訴えている。(そして、キアッの勤めていた工場は実際にシンガポール工場をたたんで中国に進出してしまう。)これは最近の中国の経済発展を踏まえてのもので、中国数千年の歴史と直接の関係はないものの、中国との関わりで食っていこうとする点では共通している。
ビジネスチャンスを狙うときだけでなく、寝て夢の中にいるときにも、中国との結びつきは強く意識されている。キアッの夢のなかで母親が語ることは、母親の口を借りたキアッの思いにほかならない。母親は「みんな中国に行った」と言う。ビジネスチャンスが中国にあるのだから、中国に行こうと考えるのはよくわかる。でも、それを中国に「帰った」と言っているところに注目したい。マレーシアやシンガポール華人は、ふだんは自分たちが生まれ育ったマレーシアやシンガポールを祖国だと言っているけれど、こんなところでうっかり「帰った」と言ってしまっているし、それを聞いても大きな違和感なく受け入れられてしまう。頭ではマレーシア人やシンガポール人だと思っていても、「中国人」という呪縛から完全には抜け切れていないことがうまく表現されている。
起きて経済活動をしているときも結局は中国との関わりで食っていくし、寝て夢を見ているときにも中国に「行く」のではなく「帰る」という。まさに、寝ても醒めても中国人ということではないか。


これに対して兄弟のお父さんはどうか。お父さんは家をどうしたいか明確には語らないが、おそらく2人の息子たちのどちらの考え方にも賛成でないはずだ。以下、お父さんと息子たちの違いをざっと挙げてみる。

  • 買ってきた骨董品を包んでいた新聞紙をお手伝いさんに捨てさせるキアッ。ホアが買ってきた朝食を包んでいた新聞紙を丁寧に畳んでとっておくお父さん。
  • 蚊が多いので市場で15リンギもする蚊取り網を買うホア。塩がなくなったら店で2包み買ってくるホア。塩がなくなったら近所に借りに行くお父さん。借りに行った先の鍛冶屋さんは、息子がクアラルンプールで家を買ったけれど、庭の草を刈るのに金がかかると言うので、草刈り用の鎌を作っている。
  • 間借りしているインド人のアルルにはシャワーするのも許さないホア。食事のおかずが余ったらお手伝いさんにあげるし、お手伝いさんが契約時間よりも早く仕事を終えたら帰ってもいいと言うお父さん。

お父さん(そしてお父さんと同年代である鍛冶屋さん)の生き方は、暮らしをよくするために金をかけたり、そのための金を稼ぐために金をかけたりするという発想になじまない。(もちろん、お父さんたちが科学技術の発展と無縁の生活をしているというわけではない。西洋人観光客には唐辛子?をすり鉢ですりつぶすパフォーマンスをして見せるが、観光客が去った後ではちゃんとミキサーを使っている。)


「寝ても醒めても中国人」という点を強調しすぎると「鳥屋」に「マレーシア性」はあまり出てこないと受け取られるかもしれないが、マレーシアのことを語っている部分もちゃんとある。
1つは、ツバメハウスでのおじさんとホアの会話だ。卵や雛鳥がいるうちは巣を取ってはいけない、たとえ作り物の巣で置き換えてもだめで、もしそうすると親鳥は怒ってもうここには来なくなってしまう、ただし雛鳥が巣立った後は巣を取っても問題ない、という。さらに、洞窟よりもツバメハウスの方がツバメにとっても好都合で、それは洞窟にいると他の動物などに襲われる可能性があるが、ツバメハウスにいる限りは守られているためだ、と言う。
これは、直接的にはホアたちの家をどうするかという問題と関係して理解できるけれど、同時に華人から見たマレーシア国家の位置づけについても思い浮かぶ。さまざまな人が自分の利益を求めて活動している国際社会は弱肉強食の世界で、ビジネスも食うか食われるかの世界だ。それに対してマレーシア国内では、(華人よりマレー人が優遇されていることはここではおくとして)秩序だった経済活
動を政府がある程度保障してくれる。
ツバメの話と重ねて理解すればこうなるだろうか。政府が守ってくれる限りは華人も好んでマレーシアにやってきて経済活動を行うし、マレーシア政府はそれによって生じた結果の一部を手に入れることができる。ただし、十分に経済活動を行うよりも前に政府がその成果を取り上げようとすると、華人は怒ってマレーシアから逃げ出し、もうマレーシアにはやってこないだろう。
もう1つはスズ鉱山の話だ。話がちょっとわき道にそれるが、冒頭でキアッがシンガポール土産のツバメの巣をお父さんに渡したとき、お父さんは作り方がわからないと言っていた。これは、ツバメの巣で儲けたいと思っているホアを含め、この家の人たちにはツバメの巣は利用価値がほとんどなく、しかし他人には価値が大きいためにそれを提供することで利益を得るということだ。自分たちで利用しないのだから、見つけしだいどんどん取って売ってしまえばいいが、資源はいつか枯渇し、そうなったらそのビジネスは終わりになる。
ここで話をスズに戻す。マラヤのスズもそれと同じだ。自分たちに使い切れない量のスズをビジネスとして他人に提供し続けたため、それを取り尽してしまった後の土地は打ち捨てられてしまい、今では採掘用に掘った穴に雨水がたまってため池だらけになってしまった。

人々はもはやスズにではなく別のところに関心を向けている。
キアッの夢の中で母親がスズ鉱山の話をしている。マラヤでスズと言えば、「グッバイ・ボーイズ」の舞台となったペラや、その南のスランゴールの話だ。そのさらに南にあるマラッカはスズの一大産地ではないし、ババ・ニョニャ(あるいはプラナカン)と呼ばれる現地化した華人はスズ鉱山の開発よりずっと前にマラヤに渡ってきた人たちなので、「鳥屋」の物語とスズ鉱山は直接つながらない。それにもかかわらず母親がスズ鉱山の話をしているのは、そこで語られているのがマラッカだけでなくマラヤ(マレーシア)全体のことであることを示している。

上で挙げた2つの関心は、マレーシアという国家は自分たちを十分に庇護してくれるのか、そして、マレーシアのさまざまな資源を持続可能にするにはどうすればいいのかという2つの問いにまとめられる。この2つは、自分がマレーシアの主人の一員であるのか客分であるのかという観点から、互いに反対の方向を向いている。
そのような相反する2つの思いが同居している彼らの本音はどこにあるのか。「鳥屋」でインド人アルルに間借りさせているところがポイントだろう。インド人は貸主であるホアに対し、蛍光灯が切れただの壁の色を塗りなおしてほしいだの、あれやこれやと注文をつける。これは、何か要求があれば自分から声を上げなければ政府は何もしてくれず、だからあれこれ声を上げて要求するというマレーシア華人の写し絵になっている。
これに対してホアは、修理屋を頼んだけれど来ないので自分のせいではないなどと答える。これも、やる気がないのではないが、いろいろな事情で優先事項があって要求になかなか対応しない政府(およびそれと重ねて見られるマレー人)の写し絵だ。そして、自分たちに向けられた要求が一定の限度を超えたときの「そんなに文句があるならここを出て別の場所を探せばいいだろう」という台詞も、まさにマレーシアの華人がマレー人から直接・間接に言われ続けてきたことに他ならない。ここでは、自分たちの土地ではないので自分たちの思うとおりにできないという不満と、その裏返しとして、自分たちの土地を手に入れて自分たちの思うとおりにしたいという欲求がうまく示されている。


この映画で使われている言葉に関していくつか。
お手伝いさんはインドネシア人という設定。マレー語とインドネシア語はもともと同じ言葉なのでそのまま通じるため、お父さんたちとマレー語/インドネシア語で話している。実際にインドネシア語の特徴的なしゃべり方をしているのだが、どこかマレーシアのマレー人がわざとインドネシア語をしゃべっているような印象を受ける。役者がマレーシアのマレー人ということなのかもしれない。
キアッとお父さんは福建語で、ホアとお父さんは華語(マンダリン)で、キアッとホアは華語で話している。かつてこの家では福建語を使っていたけれど、弟が生まれ育ったときには家で華語を使うようになったということだろうか。ツバメハウスを紹介してくれたおじさんはホアに対してやや聞き取りにくい華語で話しているが、これはおじさんがやや無理して華語を使っているという設定なのかもしれない。(もしかしたらホア役の役者が福建語があまり得意でないといった事情があるのかもしれないけれど。)
最後に出てくる母親はどういう人なのか。言葉はマレー語に聞こえないので、たぶん福建語だろう。(もしかしてもしかしたらババ・ニョニャ風のマレー語という可能性はないわけではないが、聞いた感じでは違う気がする。)服装もニョニャ服ではなく華人華人した服なので、ババ・ニョニャ(プラナカン)ではなく華人と理解していいのではないかと思う。


ちょっと引っかかったところ2つ。
1つめ。骨董品店のパトリックとキアッが会話しているとき、パトリックがときどきマレー語で話している。私が観察する限り、半島部マレーシアの華人どうしは、マレー語話者が同席していない限り、会話でマレー語を使わない。広東語や福建語などその地域の華人共通語を使うか、英語か華語のどちらかが共通ならばそれを使う。今から20年以上も前の話になるが、英語教育を受けて中国語方言は広東語が少しできるだけのジョホール出身の華人少年がペナンを訪れ、福建語と華語はできるが英語ができない華人少女と知り合いになり、会話するために乏しい華語の知識を頭から無理やり引っ張り出して四苦八苦していた様子を思い出す。華人どうしではマレー語を使わないと意地になっているあたりが同じマレーシアでもサバの華人と大いに違うところだ。
話を戻すと、パトリックはキアッに対してときどきマレー語を使っているが、その点がちょっと引っかかった。(と思ったが、もしかしたらパトリックはババという設定なのかもしれない。パトリックの話すマレー語が私の知っているババ風ではなくいかにも華人風だったのでそういう印象を受けただけかもしれない。)
2つめ。ツバメハウスのおじさんがホアを自分のツバメハウスに入れて、しかもそこで大声で話をしていること。私もツバメハウスを見せてもらったことが何度かあるが、どのオーナーも、ちょっとした環境の変化でツバメが来なくなってしまうと過敏になっていて、建物の入り口からこっそり見ることしか許してもらえなかった。(ツバメにとって)見知らぬ人を中に入れて、しかも大声で話しているというのはやや奇妙な感じがした。


タイトルは華語で「鳥屋」だけれど、日本語でそのまま「鳥屋」とすると「鳥を売っている店」のイメージになるのでちょっと違うように思う。「屋」を「家」と訳して「鳥家」とするか、英語のタイトルから「バードハウス」とするのがいいかもしれない。
(この記事は「malam−マレーシア映画」の2007年8月28日付けの記事からこの場に引っ越したものです。)