防災情報図書室+防災サイエンスカフェ

年度末の仕事がなんとか片付き、4月1日を迎えることができた。2日ぶりぐらいに家の外に出てみると、ジャカルタはすっかり「暑い季節」になっていた。


少し前の話になるけれど、3月22日にジョグジャカルタを訪問したときのこと。以前紹介した防災情報拠点に図書室が設置され、その開室式があるというので村を再び訪れた。ちょうどその日は防災サイエンス・カフェの第1回目も行われた。
以前も書いたが、これはもともとジャワ地震の後に京都大学の東南アジア研究所の有志によって始められた活動だったのだけれど、その後いろいろな人が乗り入れる形で防災をこえて活動が広がってきている。


インドネシアで地元の人を巻き込んで何かしようとすると、よほど気をつけないと、こちらにその意図がなくても「プロジェクト」になってしまう。活動の初期に少人数で手弁当で活動しても、それにちょっとしたお金がついてしまったりすると、次からはその活動に参加することがいろいろな名目で収入を手に入れるための「仕事」になり、そうなったとたんに活動の性格ががらっと変わってしまう。
関係者はより熱心に参加するようになり、周辺の人々もうわさを聞きつけて活動に加わろうとする。あまりに規模が大きくなると収拾がつかなくなるので参加者を制限しようとすると、「機会の均等化」「民主的な意思決定」「意思決定プロセスの透明性」など、それ自体は誰も反対できないスローガンを掲げて再交渉を求める動きも出てくる。こういうときはやけに結束が固い。
地元の参加者主導でみんな積極的かつ熱心に参加しているような形になっていても、それを支えているのは外部社会からのプロジェクト資金、そういう活動はたくさんある。


今回の防災情報拠点でのイベントは、そうなることを防ごうとする試みがいろいろな形で仕掛けられていた。


冒頭の挨拶では、京大東南アジア研究所からの出席者が、「この防災拠点は京都大学がみなさんに建ててあげたのではなく、この村の人々、ジョグジャカルタ在住の日本人、ガジャマダ大学などで日本語を学んでいる学生・卒業生、そして京都大学の関係者など、さまざまな人たちの協力で建てられたもの」「外部からの金銭的・物質的な援助をもらうための拠点ではなく、情報を集め、発信するための拠点」などと強調していた。


続いて、ジョグジャ日本人会会長の加藤真美さんの指導のもと、ガジャマダ大学に留学している日本人学生7名がよさこいおどりを披露した。メリハリの利いた踊りに村人たちははじめびっくりしていたけれど、すぐに楽しそうな顔になった。あれはきっと自分たちも参加したかったのだろう。
ただ見たり聞いたりするだけでなく、実際に自分の体を動かしてイベントに参加することの楽しさを、よさこいおどりチームは自分たちが楽しそうに踊ることで伝えていた。「次の機会にはみんなも一緒におどりたいですか」と聞かれて村人たちが「踊りたーい」と答えていたのは、決して言葉の上だけの返事ではないだろう。


前にもここで紹介したように、ジョグジャカルタ在住の日本語を学んでいる大学生・卒業生が、国際交流基金でガジャマダ大学に派遣されている久松美立さんの指導のもと、日本の小学校から寄贈された絵本をインドネシア語に翻訳する作業を進めていた。
この日の3番目の催しは、その絵本を防災拠点の図書室に寄贈するとともに、翻訳した大学生・卒業生を代表してメリさんとティタさんがインドネシア語に訳された絵本を紙芝居のように読んで披露するというものだった。
子どもたちはもちろん大喜びだったけれど、意外だったのは村長をはじめとする男衆が食い入るように見つめていたことだった。「絵本をインドネシア語とジャワ語に翻訳しているので言葉の勉強にもいい」と、久松さんと学生たちにとても感謝していた。


最後の演目である防災サイエンス・カフェでは、青年海外協力隊で理数科教師としてジョグジャカルタに派遣されている長谷川裕子さんと鈴木良さんが、身近な素材を用いた理科実験を通した防災教育の第1回を行った。
始まると同時に子どもたちが教卓の長谷川さんをわっと取り囲み、液体のかき混ぜ役など実験助手となって実際に作業に参加しながら、目の前でいろいろなものが混ぜられて性質が変わっていく様子を興味深そうに見守っていた。
できあがったスライム状の物体を少しずつ分けてもらうとそれだけでみんな大喜びしてしまい、「地面は固いと思うかもしれないけれどその下にはこんなやわらかいものがあって・・・」という解説の声はほとんどかき消されてしまったけれど、でもみんなとても楽しそうだった。


冒頭の図書室開所式を含めると4つの部分から成っていたが、それぞれお互いに強い関連があるわけではない。その意味では「寄せ集め」という印象も受けるが、この「寄せ集め」こそが活力のもとなのではないか。男衆も女衆も子どもたちも、それぞれ自分がおもしろいと思うものに対しては身を乗り出して見ていた。防災拠点として作られたけれど、防災に限らず、いろいろな活動が集まってくる結節点として機能を果たしはじめているということだろう。