『歓待』−アナベルの歌

映画『歓待』には、終わり近くにアナベルが歌う謎の歌が出てくる。大阪アジアン映画祭のQ&Aで深田監督が答えたところによると、ペルシャの詩人オマル・ハイヤームの詩の一部で、アナベルはそれを5つの言葉を混ぜて歌っているという。
オマル・ハイヤームの詩とは『ルバイヤート』のことだろう。「ルバイヤート」とは「四行詩」を意味するペルシャ語ルバーイイの複数形だが、特に西暦1040年ごろにペルシャで生まれた数学者で詩人のオマル・ハイヤームの詩集として知られている。岩波文庫に日本語訳がある。


アナベルは5つの言葉で歌ったという。よく聞くと英語やドイツ語に聞こえる部分があり、聞き取れる部分を当てはめると第111歌と第112歌のようだ。岩波文庫の『ルバイヤート』には以下のように訳されている。


  月の光に夜は衣の裾をからげた
  酒をのむにまさる楽しいときがあろうか
  たのしもう! 何をくよくよ? いつの日か月の光は
  墓場の石を1つずつ照らすだろうさ


  明日の日が誰にいったい保証できよう?
  哀れな胸を今この時こそ楽しくしよう
  月の君よ、さあ君の下で酒をのもう
  われらは行くし、月は限りなくめぐって来よう!


よく聞くと、「くよくよ」にあたる部分をアナベルは「クヨクヨ」と歌っている。5つの言葉には日本語も入っている。後の2つはわからなかった。


ルバイヤート』は、酒を飲むという歌詞からもうかがえるように、オマル・ハイヤームが生きていたころには必ずしも高く評価されたわけではなく、頭の固い神学者たちの批判を受けていた。ただし、後に評価されて今では誰もが知っている詩になっており、また、翻訳によって西洋に紹介され、西洋でも高く評価されている。さまざまな言葉に翻訳されてそれぞれの社会や文化に紹介されて受け入れられ、また別の社会や文化に紹介されていくという方法で世界各地を旅しているこの詩を、国籍も民族もはっきりしないアナベルが多言語で歌うところが、単に英語にすれば世界中で通用するという英語による国際化とは違った意味での国際化を象徴しているようで興味深い。

『歓待』の劇中では、アナベルの歌は小林家に生じた緊張関係を緩和するうえで重要な役割を果たしている。やや極端に言えば歌の力が紛争を和解させているわけだが、その歌にもともとオリジナルがあるにもかかわらず、あえて5つの言葉によるごちゃまぜの歌にしている。オリジナルに近いから、本物に近いから力を持つのではなく、さまざまな人々のあいだを渡り歩いていくつもの色がついてしまったものに力が与えられているところが心憎い。


なお、岩波文庫の解説によると、オマル・ハイヤームの詩は後の詩人にも影響を与え、その中の1人がハフィーズだったという。ハフィーズとは、ヤスミン・アフマド監督が『タレンタイム』を撮る前に気に入っていた詩人で、『タレンタイム』の主人公の名前はこの詩人からとったと思われる人物だ。ぐるりとまわってマレーシア映画につながっている奇妙な縁を感じる。