ジャカルタで『いなべ』

Kinosaurusで深田晃司監督の『いなべ』を観た。ジャカルタ国際交流基金の企画。
冒頭でいきなり養豚シーンが出てくる。これをインドネシアで上映するのはさすがKinosaurusだと思って、いなべ市の山を背景に子豚がとことこ歩いてる場面でも出てきたらまるでエドウィン監督の『空を飛びたい盲目の豚』だなと思っていたら、上映後の深田監督のトークの司会がエドウィン監督だったのでまたびっくり。
舞台は三重県いなべ市。養豚場で働くトモヒロと、音信不通になって17年ぶりに赤ちゃんを連れて突然家に戻ってきた姉のナオコ、そしてナオコやトモヒロと父親が違う高校生の妹のアキ。アキははじめナオコが誰だかわからず、トモヒロに教えてもらって、話に聞いていた幻の姉だと知る。
メインはナオコが何のために故郷に戻ってきたのかという話。短い作品ながら映像的にも物語上も観客にあれっと思わせる仕掛けが施されていて、本筋の鑑賞はその方面でされるべきだろうと思う。でもそれと別に、これがインドネシアで上映されたことの意味も興味深い。
この作品が作られたのは2013年なので作品内の時間もその頃だろう。17年ぶりに帰ってきたということは、ナオコが出て行ったのは1997年頃ということ。アキはその後に生まれた。いなべ市員弁郡の4つの町が合併して2003年にできた市で、合併の話が始まったのが1998年だったらしい。
1997年から98年にかけてアジアの国々で社会が大きく変化した。インドネシアももちろんそう。ちょっと大げさに言うと、インドネシアは1997〜98年を境に世界が変わったと言えるぐらいの変化を経験した。
ナオコとアキが姉妹なのに互いに相手を知らないということは、1998年以前の世代と1998年以降の世代でコミュニケーションの断絶があるということと重なる。その橋渡しにトモヒロがなっているとすると、トモヒロはいったいどんな存在なのか。豚の世話をする人だということが何か意味を持ちそうだと思うけれど、まだうまく像が結ばない。
この上映&ディスカッション、立ち見が出るほどの盛況ぶりで、ディスカッションでは一度しか観ていないとは思えないような鋭い質問がたくさん出た。深田監督も、「大人の事情」で決まる裏事情も話しつつ、それで説明を終えるのではなく、裏事情に対応した結果できた場面を自分はどう解釈しているかを1つ1つ説明していた。与えられた素材をどれも無駄にせず活用して破綻なく作品に仕上げたという意味で「始末のよい」監督という印象を受けた。とてもよい通訳が入ったためもあり、考えるところの多いディスカッションだった。


ディスカッションで出た話を少し。『いなべ』は観客を驚かせて考えさせる仕掛けがされているので具体的な内容を書きにくいので、インドネシア映画との関連で少々。インドネシアでは宗教が違うと死んだ後に同じ天国に入れない(だから改宗して同じ宗教になる)という言い方があるのに対して、日本だと死んだ後に一緒のお墓に入りたいという言い方があって、同じようで違うようなのがおもしろい。生きているうちは一緒の家で暮らすことができなくても死んだ後で同じ墓に入れるというのは『タレンタイム』のガネーシュおじさんに通じるものがある。