シンガポールのタレンタイム映画『Wonder Boy』

マレーシアとシンガポールで行われている芸能コンテストの「タレンタイム」は、もともと1949年にシンガポールでラジオ番組として始まり、1963年にテレビ放送が始まるとテレビ番組になった。タレンタイム全盛期の1950年代から1970年代にかけて、ラジオ/テレビのタレンタイムを頂点として、学校ごとや団体ごとにさまざまなタレンタイムが行われた。
1965年に独立したシンガポールでは、西洋の退廃した文化の象徴である長髪と麻薬とセットにされて、ロックは居場所をどんどん失っていった。聴衆たちも、聴くからには自分が知っている曲を聴きたいと思い、地元の音楽青年が自作の曲を弾こうとしたらすぐさま立ち去ってしまうほどだった。
そんなシンガポールで、自作の曲に自信を持って、誰もそれを聴いてくれないけれどいつの日か多くの人の前で自作の曲を演奏したいと思い続けていたディック・リー
シンガポールはもちろんのことアジアでも広く知られているミュージシャンのディック・リーが、高校に進学してから最初のレコードが出るあたりまでの様子を自伝的に描いた作品。ディック・リーを知っている人はもちろん必見の作品だけど、ディック・リーをあまり知らなくても70年代のシンガポールの社会や音楽の様子に関心がある人は観て損がない。
音楽なんてやめてしっかり勉強してまっとうな仕事につきなさいと叱る父。良家のお坊ちゃんのディック・リーにタバコを教えたりして一緒にタレンタイムに出場しようと誘うクラスメート。ディック・リーにオーディションに行くように勧めてくれたガールフレンド。そんな人たちとの出会いと別れの末にレコードデビューを果たす。
1人になって自暴自棄になっていたディック・リーを支えてくれたのは妹だった。そして、自作の曲に自信を持つように支えてくれたのは母だった。ヤスミン監督の『タレンタイム』で妹のマワールがメルーを支えたこと、そして自作の曲でタレンタイムの決勝に臨もうとして母に「ベストを尽くしなさい」と言われたハフィズが重なって見えてくる。
ラストシーンを見ると、ディック・リーが誰に一番観てもらいたくてこの映画を作ったのかが伝わってきて泣けてくる。それを踏まえてもう一度はじめから観てみると、何気ない場面のちょっとしたやり取りに込められた意味が見えてくる。
作品中でたくさんの曲が流れるけれど、ディック・リーの曲を知らなくても楽しめる。でも「フライドライス・パラダイス」は知っておくとさらに楽しめるかも。
タイトルのは「Wonder Boy」はディック・リーが高校のクラスメートに誘われてタレンタイムに出場したグループの名前だけど、実際にディック・リーが高校1年のときにクラスメートに誘われて参加したのはHarmonyというグループだったようだ。事実をもとにしつつも脚色したり名前を変えたりしているのだろうけれど、『ワンダーウーマン』の劇場公開と重なったのは偶然だろうか。
劇中でディック・リーを見出すVernon Corneliusは本名で出ている。1960年代のシンガポールで絶大な人気を誇った伝説のバンドThe Questsのメンバーで、1971年に解散してからレディフュージョンのDJをしていて、ディック・リーがデビューするきっかけを与えた人。
ディック・リーの父はプラナカン協会の会長さんだったはずだけど、劇中の父はあんまりプラナカン風という感じでもなかった。でも劇中のディック・リーの家ではみんな家の中でも靴を履いていて、一般の華人家庭とちょっと違う雰囲気は確かにあった。
まだ劇場公開はずなので、この週末はぜひシンガポールへ。